2016.11.14

ホームページ引っ越しました

ニフティのホームページサービスが変更になったので、僕のホームページも引っ越しさせました。
新ホームページのアドレスは以下のとおりです。

http://tadashi-ohta.in.coocan.jp/

内容は変わってません。

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2016.11.09

『死の天使はドミノを倒す』文庫版予約開始

『死の天使はドミノを倒す』文春文庫版が1月に出ます。
amazonにて予約開始しております。

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2016.10.28

小説屋sari-sariにて新連載

不定期ですが連載を始めます。
『さよなら、と嘘をつく 沙之里幽譚』というタイトルです。
「さのさとゆうたん」と読みます。
ミステリではなく、幻想小説ですね。

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2016.08.06

『ミステリなふたりア・ラ・カルト』amazonにて予約開始

ミステリなふたり a la carte』が文庫では『ミステリなふたりア・ラ・カルト』と表記を変えました。

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2016.08.03

「シン・ゴジラ」について

「シン・ゴジラ」を二度、観た。興奮が治まらない。
 つい勢いに乗ってツイートしたら、ネタバレ気味だと指摘されてしまった。言いたいことをネタバレ抜きで話すことは、この映画の場合とても難しい。
 なので、ここではネタバレありで思うところを書いてみようと思う。
 まだ観ていないひとは、ここから先は読まないでください。

 最初に「シン・ゴジラ」のゴジラ造形を観たとき、正直「マジかよ」と思った。あまりにグロテスクで、これまでのゴジラの概念から外れていたからだ。また庵野秀明はおかしなことをするんじゃないか、中途半場なものを作ってゴジラのイメージだけ壊したりするんじゃないかと危惧した。
 しかし劇場で実際に映画を観た後は、自分の認識不足を恥じることとなった。中途半端なんてものじゃない、庵野総監督は僕らオールドファンが抱いているゴジラ像を徹底的に壊し、再構築したのだ。
 おかげで観客は、この映画でゴジラと「初体面」を果たすこととなった。昭和29年に「ゴジラ」第一作が公開されたとき、当時の観客がこの怪獣と初めて出会ったのと同じように。

「シン・ゴジラ」公開の前にとても象徴的なことがあった。ゴジラ映画第三作「キングコング対ゴジラ」が4Kリマスターの完全版として蘇ったのだ。
 僕は2Kダウンコンバートで放送されたものを観たのだけど、それでも画像が本当にクリアで驚いた。カットされていた部分も復活した完全版はストーリーもすこぶる面白く、この作品が日本映画の収穫のひとつであることを再認識させてくれた。
 ただ、観ていて思ったことがある。
 この映画でのゴジラは「ゴジラ」「ゴジラの逆襲」に登場した恐るべき化け物ではない。たしかに街を破壊はするけど、愛らしいと表現できる顔つきやコミカルな動きなど、親しみやすさを感じるところも多い。おまけに放射能の恐怖についても言及されることはなくなった。恐怖の要素を完全に抜き取られ、キャラクター化されてしまったのだ。
 繰り返すが「キングコング対ゴジラ」は傑作だ。この作品の成功があったからこそ、以降も怪獣映画が作られ続け、日本は怪獣大国となった。しかしこの映画以後の怪獣はすべてキャラクターとして扱われるようになったのも事実だ。ソフビ人形となりぬいぐるみとなり、キーホルダーとなって人々に親しまれた。だからこそ長生きできたのだけど、そこにはもう第一作で感じさせた恐ろしさは微塵も存在しなかった。
 1984年の「ゴジラ」以降、恐怖の存在としてのゴジラを復活させようとする試みは何度も繰り返された。しかしながら一度キャラとして認識されてしまうと、恐怖をまとわせることは無理になる(昨今の貞子のキャラ化なんて、そうですよね)。ゴジラはかっこいい存在にはなれても、怖いものにはなれなかった。もう第一作のような恐怖映画の主人公になることは不可能だと思われた。

 そこに「シン・ゴジラ」だ。
 庵野秀明はまず造形から変えた。親しみやすさを一切排除し、キャラクター化を拒絶するようなゴジラを作り上げた。
 それは第一作のゴジラと同じアプローチだ。最初のゴジラの皮膚のゴツゴツした質感は被爆によるケロイドをイメージさせている、というのは有名な話だが、シン・ゴジラの表皮はそれを上回るグロさで表現されている。そしてあの顔。ぎりぎり生物であることがわかるような眼と乱杙歯。これはとりもなおさず、初めて「ゴジラ」を観た人間が感じた恐怖(嫌悪感とも言える)を再現するものだ。
 こんなゴジラを創造しただけでも、この映画の成功は約束されていたかもしれない。

 しかし庵野秀明はゴジラ造形を凌駕する独創的な手腕をストーリー作りに発揮した。
 怪獣映画の定番ともいえる登場人物(天才的だけど奇矯な科学者、恋する若い男女、子供、など)を一切排除し、ゴジラに対処する為政者や自衛隊を人間側のメインに置き、徹底したリアリズム演出で物語を押し進めたのだ。
 結果、「シン・ゴジラ」は日本映画特有のセンチメンタリズムを拒絶した。これは歴史的な事件ではないだろうか。登場人部が誰ひとりとして泣き叫ばない日本映画なんて、そうそうあるものじゃない。

 二度目にこの映画を観た後、地下鉄に乗った。電車に揺られているとき不意に「今、地上でゴジラが暴れてるんじゃないか」という妄想がふと湧いて出た。
 さらに家に帰ってきたとき、改造内閣の組閣人事が発表されたというニュースを観て「ああ、首相はじめ主立った閣僚はみんな死んじゃったからなあ。早いとこ新しい閣僚を決めなきゃなあ」と、わりと普通に思ったりもした。そして、はっとした。
 この映画のポスターに掲げられたコピーは「現実対虚構」だった。まさに今、自分が現実と虚構が拮抗する場にいるような気がした。
 それほどまでに力のある作品なのだ。

 僕はこの映画を二度、観た。これからも何回も観るだろう。

(補足)
 一点だけ、映画を観た後の不満について書き記しておく。
 それは石原さとみをネイティブのアメリカ人に設定したことだ。
 たしかに彼女は流暢に英語を喋ってはいたけど、それでもネイティブの発音ではなかっただろう。この映画が英語圏で公開されたとき、この点で観客がしらけてしまう危険がある。
 せめて海外経験の長い日本人、くらいに設定できなかったかな、と思う。

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2016.04.19

『明日、世界が終わるとしても』amazonにて予約開始

『虹とノストラダムス』がタイトルを変えて文庫化されます。
 ノストラダムスの予言を知ってしまった若者たちの軌跡。ラスト1ページの衝撃。

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2016.02.05

「タイムストーリー」新刊

 児童文学者協会編「タイムストーリー」の一冊『1週間後にオレをふってください』(偕成社)の見本が届きました。僕の『才能開花カリキュラム』が収録されています。

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2015.12.17

2015.12.16 浜田省吾と僕との旅

 12月16日名古屋センチェリーホールで行われた浜田省吾のライブ「SHOGO HAMADA ON THE ROAD Journey of a Songwriter」についての感想をここに書き留めておく。

 ライブ第一部はニューアルバム「Journey of a Songwriter」収録曲のみだった。
http://www.shogo2015.com/newalbum/index.html
 つまりどれも新曲だったわけだけど、僕はアルバムを買ってから何度も聴き込んできたので違和感はなかった。ただ、あらためて生でこれらの曲を聴いて気付いたことがある。
 前回のアルバムは、ちょうど10年前に発売された「My First Love」だった。
http://shogo.r-s.co.jp/disco/album25.html
 このタイトルは正式には「My First Love is Rock'n'roll」だと言っているように、浜田省吾が自身のルーツであるロックと真正面から向き合って自分の足下を確認したような作品だった。しかし今回のアルバムはそんなにロックを全面に押し出してはいない。それよりもウェルメイドな楽曲を安定した演奏と歌で聴かせることを主眼としているように感じられた。タイトルにあるとおりソングライターとしての浜田省吾の到達点を示す作品だろう。  
 タイトルナンバーといえる「旅するソングライター」、冒頭のコーラスが美しい「マグノリアの小径」、艶やかな「美しい一夜」、陽気なダンスナンバー「夜はこれから」と、どれを取っても高品質な曲ばかり。耳にして間もないのに、もう何年も聴いているような気になってくる。もうすぐ63歳になる彼の歌声は、しかしいつもどおり力強く伸びやかで、きっと歌うために精進し続けているんだなと思わずにはいられなかった(ちなみにTシャツ姿になったときの胸の厚さも昔と変わらなかった)。
 ライブの中で、僕個人にとって衝撃的な出来事があった。 「Journey of a Songwriter」に収録されている「五月の絵画」という曲を歌う前のことだ。この曲は久しぶりに再会した男女のことを歌っているのだけど、浜田省吾がMCでこれは「My First Love」に収録されていた「花火」という曲の続編だと打ち明けたのだ。  僕は思わず「そうだったのか……」と声をあげてしまった。その理由について書くと長くなるのだけど、でも書かずにはいられない。
 10年前、「My First Love」を聴いたとき、この「花火」という曲がどうにも引っかかってしかたなかった。ここで歌われているのは家族を捨てて家を出た男のことで、彼は妻と娘、息子を捨てて家を出て五年、新たにできたらしい恋人に向けて自分の過去を語るという体裁になっている。  僕が引っかかったのはアルバムの曲順だった。この「花火」の前にシングルにもなった「I am a father」という曲が入っているのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=IIqi3YVC-Bg
 この曲は評判も良いようで、ライブでもたびたび歌われている(今回のライブでも歌った)。でも僕は正直、あまり好きではない。あまりに臆面もない父親万歳的な歌詞が好きになれないのだ。でも、ここで歌われているのは家族のために一生懸命生きていく真面目な父親の姿だった。なのにすぐ次の曲で家族を捨てる父親が歌われている。なんか雰囲気ぶち壊しだよなあ、と僕は思ったのだ。  以来、この「花火」という曲は僕にとって、大好きでたまらない浜田省吾という存在の中の唯一引っかかる部分、喉に刺さった小骨のような存在だった。
 浜田省吾自身によると、どうやら「花火」については僕と同じく「なんだかなあ」と思っていたひとが多いようで、MCでは「特に女性に評判が悪かった」と言っていた。  そして続編として作ったという「五月の絵画」に繋がる。五月のカフェテラスで久しぶりに再会した「彼女」、主人公は彼女が15歳のときに家を出たと歌っている。
 じつは浜田省吾が打ち明けてくれるまで、僕はこの曲を「路地裏の少年」の続編だと思っていた。「路地裏の少年」では16歳の主人公が家を出る。そのときに置いていかれた恋人が「彼女」だと思ったのだ。  でも違った。「彼女」は主人公の娘だった。  妻子を捨ててしまった男が大人になった娘と会い、美しくなった姿に言葉を失う。「彼女」は微笑んで彼を見ている。  昼休みが終わって別れるとき、「彼女」は「また会えるかな」と言う。それは「許す」って意味かな、と主人公は思う。  壊れてしまった家庭は、もう元には戻らない。主人公にも「彼女」にも、今はそれぞれの暮らしがあるのだから。でも、壊れてしまったものの欠片を拾い集めることくらいは、できるのかもしれない。そんな予感を感じさせながら、歌は終わる。  浜田省吾がこの曲を歌っている間、僕は言いようのない感慨に浸っていた。10年間僕の中にあった小骨が、溶けるように消えていくのを感じていたのだ。(でも、嫁さんに言わせると「娘にあっさり許してもらえるなんて、それは男のファンタジーよね」なんだけど)。
「Journey of a Songwriter」には耳障りのいい曲ばかり入っているわけではない。後半に収録されている「アジアの風 青空 祈り」という三部作は、優れたソングライターであると同時にメッセージソングの旗手でもある浜田省吾の強い意志が感じられる作品だ。
 兵士たちの映像をバックに歌われたこの曲には、彼の世界に対する、とくにアジアに対する強い懸念と平和を希求する思いが籠められている。聴いているだけで背筋を伸ばさずにはいられない。  浜田省吾は生でメッセージを発することはしない。政治的な発言もしない。ただ、歌う。歌の中で自分の思いを語る。僕はそれを、たしかに受け取った。
 ライブ第二部は打って変わって、名曲の乱れ撃ち。中でも僕が偏愛する「君の名を呼ぶ」を歌ってくれたのが個人的には感涙ものだった。
https://www.youtube.com/watch?v=l-dBX7ZwoUg
 これは観客の年齢層を考えた選曲だろうか。浜田省吾のラブソングといえば初期の「片思い」や「ラストショー」とかが定番だけど、「君の名を呼ぶ」は大人の歌だから。  そしてクライマックスは「J.Boy」
https://www.youtube.com/watch?v=7dUfaCD5Y0A
 正直、今回のライブはニューアルバム主体だから、この曲はやってくれないと思っていた。だから前もってYouTubeでこのビデオを観て、それで自分を満足させていた。しかし、しかし歌ってくれたんだよなあ。最初に聴いた1986年以来、この歌は僕にとって国歌だ。  他にも愛奴(浜田省吾が最初にデビューしたバンド)のデビュー曲「二人の夏」まで歌ってくれて(この曲を生で聴けるとは思わなかった)、満足度100%。
 楽しいとか嬉しいとか、言葉で尽くせない。そんな時間を過ごすことができた。

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2015.09.24

空想ラボラトリー | IHI

http://www.ihi.co.jp/brand/laboratory/

 IHIの特設サイトで未来のテクノロジーをテーマとしたショートショートの競作が後悔されています。
 僕の作品『トリカさんと七億の小人』も読めます。

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2015.08.16

『クマリの祝福 セクメトⅢ』amazonにて予約開始

『セクメト』の続編です。今月末には書店に並ぶと思います。

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