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2011.03.28

ショートショートの炊き出し『友達のこと』その4

『前途――トシヤのこと』

 定年まであと五年だった。私は最後まで勤め上げるつもりだ。
 しかしトシヤは違った。
 その決意を聞いたとき、私は彼に尋ねた。
「辞めて、どうするんだよ?」
「やりたいことをやる」
 トシヤはさっぱりとした表情で答えた。
「コスタリカでゴミのリサイクル施設を造るんだ。その手伝いをしてくる」
 唐突な話に言葉をなくした。コスタリカ? どこの国だ?
「……それって儲かるのか」
「儲かるわけがない。海外ボランティアってやつだ」
 ボランティア? 仕事一途の人間だったトシヤが?
「……奥さんは反対しなかったのか」
「した。だから一年かけて説得した。納得はしないが諦めてくれた。一緒にコスタリカに行く」
 夫婦揃って……なんてことだ。
「息子も反対したが、あいつは俺から独立した人間だ。関係ない。俺の人生は俺の好きにさせてもらうよ」
 彼の言葉には強い意志が感じられた。
 私は生活のこととか現地の政情とか、いろいろ尋ねた。トシヤはそれに明確に答えた。何もかも調べ尽くし、万全の体制を整えているようだった。最後に言った。
「もちろん、どうなるかはやってみなきゃわからない。でも、やれるかどうかわからないことに挑戦してみたいんだ」
「そんなことは定年になってからでもいいだろうに」
 私が言うと、トシヤは笑って、
「今でなきゃ駄目だ。まだ体力と気力に自信の持てる今でなきゃな」
 その言葉に、なぜかひどく打ちのめされた。
 トシヤと私は同期入社で、いつも一緒に働いてきた。昇進もほぼ同時期、いや、私のほうが少し早かったか。とにかく妻よりも長い付き合いだった。彼の心根は知り尽くしていると思っていた。その彼が……私はその日、何とも言えない重い気分を拭えなかった。
 家に帰って、妻にトシヤのことを話してみた。
 当然、彼に対して批判的なことを言うと思った。しかし返ってきたのは意外な言葉だった。
「それ、ちょっと羨ましいわね」
「羨ましい? コスタリカに連れていかれるんだぞ。奥さんの身にもなってみろ」
「でも、結局は一緒に付いていく気になったんでしょ。きっと今頃は気持ちを切り替えて楽しみにしてるわよ。夢のある旦那さんを間近に見ていられるんだから」
 日頃は「男のロマンなんて女には迷惑なだけ」と言っている妻の言葉とは思えなかった。
「たぶん奥さん、今の旦那さんのことは誇りに思ってるんじゃないかしら。これがわたしの主人ですって」
 つまりおまえは俺のことを誇りには思えないってことか、と口に出かけて、無理矢理押しつぶした。そしてもう、トシヤのことは話題にしなかった。
 退職の日、ささやかなセレモニーが職場であった。女子社員が花束を贈り、専務がわざわざやってきて言葉をかけた。トシヤは恐縮し、涙を浮かべた。
 その光景を私は、複雑な気持ちで見ていた。
 最後にトシヤがひとりひとりに挨拶して回った。私のところに来たとき、彼は言った。
「すまん、会社を頼む」
「よせ、俺なんかが会社を任されたって何もできん」
「いや、おまえにしかできないことだ」
 トシヤは言った。
「俺は俺がここでするべきことを放り出していく人間だ。虫のいい話だが、後を託せるのはおまえしかいない。頼む」
 彼が去った後、私はその言葉について考え続けた。
 おまえしかできないこと。
 ここでするべきこと。
 考えても、ピンと来なかった。
 でも、わかった。それを考えることが、これからまず自分がしなければならないことだ。
 私は明日の仕事に向けての準備を始めた。

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