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2004.02.28

人を殺すということ

 角川の編集さんと名古屋のホテルで、少し先の仕事について打ち合わせ。
 帰りに本屋へ寄ったら、そのとき話に出てきたはやみねかおるさんのインタビュー記事を掲載したダ・ヴィンチがまだ売られていた。新作『僕と先輩のマジカル・ライフ』に関したインタビューだったが、途中で僕の名前が出てくる。

「私は殺人を書いたことがないのですが、これは太田忠司先生から『自分たちは紙の上とはいえ人を殺しているんだから、それだけの覚悟がないといけませんよ』というお話を伺ったので、自分にそこまでの覚悟がないからなんです」

 たしかに僕、はやみねさんと初めてお会いしたときに、この話をした。というか、これは僕の基本姿勢なので、創作について話をするときにはたいていこの話をすると思う。もちろんこれは僕自身の倫理的な心構えでもあるのだが、それだけでなくミステリを面白くするためにも必要な認識だと思っている。
 ミステリにおいて多くの場合殺人がストーリーの中心になるのは、それがとても残酷で許せない行為だからである。だからこそサスペンスが増し、事件を解決しなければという物語の方向性もはっきりするのだ。もし記号的に人を殺していくだけの物語にしてしまえば、事件解決へのモチベーションも下がってしまうし、解決したときのカタルシスも減じてしまうだろう。
 ミステリは安易に人を殺しすぎる、という批判があるが、それは安易に殺すミステリが多すぎるからだ。僕の認識では本格ミステリほど人の死を大事に扱っているエンタテイメント小説はないと思う。たったひとりの死のために綿密に練られたトリックが散りばめられ、それを名探偵が智力をを振り絞って解決するのだ。
 現実において、人はただ死ぬ。それだけで意味はない。そのまったく無意味な「死」になんとかして意味を付けようとする作業がミステリには肝要なのだ、と僕は信じている。
 ただ、無意味な死を書かない、ということは正直なところ、できないだろう。僕自身、たとえば宿少では無意味に大量に殺されていく人々を書いている。小説を書いていく以上、そうした死を描くことは、やはり避け得ない場合もある。
 僕の話がはやみねさんの創作姿勢を歪めてしまった、と考えるのは傲慢に過ぎるだろうけど(それがはやみねさんの選び取った道なのだから)、はやみねさんなりの覚悟ができたなら、はやみねさんの殺人事件を読んでみたいと思う。

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2004.02.27

ステーキ家で夕食

 お義母さんが誕生祝いをしてくださるということなので、例によってステーキ家へ。
 里芋のガレット、帆立てと水菜の明太子和え、穴子のシュークリーム、どれも美味しゅうございました。
 それにデザートで出てきた馬鈴薯のココアパウダー包み。裏ごしした馬鈴薯に生クリームと蜂蜜を合わせ、トリュフのように丸めてココアパウダーをまぶしたもの。これがもう、美味しい美味しい。
 食事と一緒に飲んだ「是」という日本酒も、すこぶる美味かった。ああ満足。

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2004.02.25

45歳の誕生日

 2月24日は45回目の誕生日だった。
 ここ最近の僕にとってこの日は「パエリアの日」である。年に一回、この日にパエリアを作ってもらう。
 面倒な料理なので、特別な日でないと作ってもらえないのだ。
 今年も美味しくいただきました。

 それにしても、45歳である。
 自分がこの歳になるまで生きてこられたなんて、なんだか不思議な気がする。
 小学生の頃、よく一緒に遊んでいた近所の同級生の加藤君に「おまえは中学を卒業するまでに死ぬ」と根拠もなく断言され、それも何度となく断言されたおかげで中学から先の人生を思い描くことができなくなり、いざ中学卒業となってから「この先どうしたらいいんだろ?」と茫然としてしまった、という過去を持っている。
 加えて高校時代はノストラダムスの大予言を真剣に信じていて「自分は1999年に40歳で死ぬんだ」と思い込んでいたため、やはり2000年になってから「どうしよう?」と途方に暮れてしまった、という過去も持っている。
 そうした過去を引きずったまま、現在に至っているわけだ。
 考えてみると僕の人生、後半三分の二が「余生」ということになる。長い余生だなあ。しかも余生のほうがずっと波瀾万丈だった。気がつけば小説家になんかなってるし。
 結局のところ僕は、余生を生き続けるしかないのだろうな。

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2004.02.13

心からの叫び

 WWEの日本ツアー、行きたかったよおおおお~~っ!
 このサイトこのサイトで観戦記を読むたびに、心底そう思いますです。
 僕もストーンコールドのビールがぶ飲みを見たかった。
 次は是非、名古屋に来てくれい。

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2004.02.09

久しぶりに解説の仕事

 柄刀一さんの『アリア系銀河鉄道』の文庫解説を書かせていただくことになった。
 ずいぶんと久しぶりな解説仕事である。
 元版である講談社ノベルスですでに四名の方々が収録されている一編ごとの解説を書かれおり、それも文庫に収録されるという。そのうえでの総合的な解説というわけだから、かなりプレッシャーのかかる仕事ではあったが、大好きな作品ゆえ再読後一気呵成に書き上げ、締切よりずいぶんと早く完成した。幸い柄刀さんからはOKをいただけたので、肩の荷が下りた気分。

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2004.02.05

結石は寝ている

 あれ以来、ずっとおとなしくしている。痛みもない。
 ひょっとしたら小さい結石が排尿の時に流れ出てしまったのかもしれない。石がごく小さい場合は排出されても気がつかないことがあるらしい。
 医者には「とりあえず様子を見ましょう」と言われる。
 医者の「様子を見ましょう」と言うのは「今のところ打つ手なし」という意味だ。
 まあ、このままおとなしくしてくれているならいいのだが。
 でもエコー検査の結果からすると、腎臓内にまだ結石があるのは間違いないんだよなあ。そいつが暴れ出したら……考えるだけで身震いしてくるから、考えるのをよそう。

 講談社の編集部から『大怪樹』のアンケート葉書の一部が届いた。
 やはり皆さん、続きが気になるようで。
 僕も気になるので、早く続きを書いてしまいたい。しかし同時進行の仕事もいくつかあるせいで、なかなか宿少ひとつに没頭できないのが現状なのだ。寛恕されたし。

 今月の講談社ノベルスのラインナップもすごいなあ。

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2004.02.02

『ミステリなふたり』再開

 京堂夫妻シリーズの新作『ヌイグルミはなぜ吊るされる』のゲラをチェックし終えてFAX。
 幻冬舎の雑誌ポンツーン3月号より、いよいよ再開である。
 といっても現在の状況では連続掲載は困難なので、最初はぽつりぽつりと作品を発表する形になるだろうが。
 ともあれ、京堂景子さんと新太郎くんのコンビをまた書くことができて、とても嬉しい。枚数もこれまでの40枚から50枚にアップしたので、作品に余裕ができると思う。

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