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2004.07.28

「スチームボーイ」を観た

「スチームボーイ」を観てきました。
 さすがに手間隙かけただけあって、画は素晴らしい。蒸気機関の制御のできなさ加減が圧倒的な迫力で描かれていました。活劇としても申し分なし。
 ただストーリーとして、どうも引っかかる部分がありました。オハラ財団のやったことって、後々面目を潰されたイギリス政府から糾弾されることを考えると、絶対に自分たちの利益にはならないと思うんだけどなあ。彼らがテロ組織ならともかく、企業として利益を追求してるんだよね。だったらプレゼンテーションのやりかたは最悪だと思う。
 スカーレットというキャラは悪くいないとは思うけど、欲求不満を飼っているチワワを殴ることで晴らすっていうシーンだけで僕としては却下。どんなに魅力的でも、あれだけで却下。第一後半からあのチワワ登場もしないし、誰も気にかけないじゃない。あの騒ぎの中で死んでしまったの? それでいいの?
 どうも犬の描きかたについては押井守に一歩も二歩も後れをとっているような……って、押井さんと同じレベルで犬を描けるひとが他にいるとは思えないけど。

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2004.07.26

仕事してます

『藍の悲劇』連載最終回のゲラをチェックし、編集さんへFAX。
 これでとりあえず雑誌連載分は終了です。ノベルズ化に向けての手直しは残っていますが。
 新作のほうはジャーロに掲載する予定の新シリーズ『レストア』の第一話を執筆中。久しぶりにというか性懲りなくというか、またオルゴールの話です。『維納音匣の謎』を書くときに手に入れた資料+αを傍らに置き、同じときに衝動買いしたリュージュ社のオルゴールを聴きながら書いています。

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2004.07.22

土用丑の日に

 母親の保険証や敬老パスを返却したり、入院治療費の補助申請や預金の相続手続きのための戸籍謄本や印鑑証明の入手といった細々とした用事のために区役所へ。本当にもう、いろいろと仕事があるものです。
 あちらの窓口からこちらの窓口へと飛び回り、喉はカラカラ。しかし区役所内には自販機もない。申請した謄本が出来上がるまでの間に外に出て自販機を探しました。そのとき、区役所外の道路に駐車場に入りきれなかった車がずらりと停まっているのを眼にしました。
 その瞬間、苦い苦い記憶が蘇ってきました。

 それは母が亡くなった8日のこと。死を悼む間もなく喪主として山のような仕事が押し寄せてきました。葬儀社の指定から葬儀の計画、各方面への連絡に喪服の準備まで。目の回る忙しさとは、まさにこのことでした。
 特に急がなければならないのは火葬許可書の取得。これは病院からもらった死亡診断書を区役所に持っていって申請しないといけない。他にしなければならないことはたくさんあるけど、これをもらわないと火葬場に母親を連れて行けないんです。だから何かなくとももらってこなければならない。で、大急ぎ車で区役所に向かったわけです。
 ところが我が区役所、とにかく駐車場が狭い。どこにも停めるスペースがない。早く斎場に戻らなければと気は焦る。イライラしながら区役所周辺を回っていると、車が連なって停まっている道路がありました。そして目の前でその中の一台が出ていって、一台分のスペースが空いたのです。これはもう、選択の余地などないでしょう。僕はそこに車を滑り込ませ、区役所に急ぎました。
 通常なら絶対にしないことでした。車を斎場に戻してタクシーかバスで出直していたと思います。しかしそのときは、本当に緊急事態でした。いっぱい停まってるんだから大丈夫だろうと自分を納得させました。
 しかししかし、無事許可書を手に入れて戻ってきたとき、僕の車はそこにはありませんでした。かわりに地面に貼り付けられていた警察の通知書。
 レッカーで持っていかれてしまったのでした。
 そのときの僕の気持ち、お察しください。急がなきゃならないのに、ならないのに!
 結局そのまま地下鉄に乗り警察署へ。頭を下げてレッカー移動費と駐車場代を払い、罰金の支払書をもらって車を引き取り、斎場に戻ったのでした。
 おかげで僕のゴールド免許は、次の更新で普通の色に変わってしまいます。

 そんな悪夢の場所に、同じように車が停まっている。思わず呪いの言葉を吐いてしまいましたね。
「持っていかれてしまえ!」

 やっと見つけた自販機でジョージアのソイ・ラテを流し込み、戻ってくると申請した書類ができました。ただし母親の除籍謄本は母親の本籍がある区役所に直接行かないともらえないらしい。ああ、なんて面倒な。
 疲労感に打ちひしがれた体を景気付けるために、帰りには鰻重弁当買って帰りましたよ。えらい散財だ。美味しかったけど。

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2004.07.19

初めての法事

 本来お葬式の後七日ごとに法要があり、四十九日で満中陰となるのですが、最近では火葬場からお骨を持ち帰ってすぐに初七日の法要をし、四十九日までの間の法要はひとつにまとめてする、という形になっているようです。
 というわけで18日はそのまとめの七日法要。我が家で行われる初めての法事でした。
 喪主夫婦以外は普段着でOK、という略式なものだったんですが、お坊様をお招きするので目茶苦茶緊張しました。
 終わった後はぐったり。これからさきお仏壇のお迎えとか四十九日の法要とか、イベントはまだまだ続きます。
 でもいい加減、仕事にも復帰しないと。今日からまた、書き始めます。

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2004.07.15

いくつもの手順

 喪主として通夜、葬儀を執り行った後も、様々な、本当に様々な手続きに追われてます。
 葬儀に参列してくださった方やお香典、お花をいただいた方々をリストアップするために、今まで使ったことのなかったExcelのお世話になっています。今まで表計算ソフトといえばクラリスワークスくらいしか使ったことがないので、データを打ち込むところから手さぐり状態です。
 しかしもっと大変なのはこれからの法要のこと。生まれてこのかた、仏様と一緒に暮らしたことがなかったので、何から何までわからないことばかり。ロウソクの消し方からしてわからない。吹き消しちゃいけないんですね。
 勉強しなきゃなあ。

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2004.07.10

母、永眠

 7月8日午前4時45分、母が亡くなりました。
 直接の死因は敗血症ですが、数年前から心臓を患っており、加えて肺炎を起こして入院加療中でした。
 基礎体力のある強いひとでしたが、MRSAには勝てなかったようです。
 73歳。ちょっと、早かったです。

 急なことだったので親しい作家さんと一部の出版社関係のひとにしか通知する余裕がありませんでしたが、古くから付き合いのある編集さんに力添えをいただいて、ある程度のところには通知していただけました。多くの出版社や作家さんから弔電、献花をいただきました。また通夜や葬儀のときには出版社や作家のかたにも遠くからおいでいただきまして、感激いたしました。あらためてお礼させていただきますが、まずはこの場でお礼申し上げます。ありがとうございました。
 名古屋オフのメンバーからも弔問、弔電をいただきました。ありがとうごさいました。

 最後の頃は痩せて痛々しいほどでしたが、最後の最後で薬の副作用なのかむくみが生じ、これが逆に皺を取ってくれて死に顔を若々しく、穏やかにしてくれました。死化粧を施した顔は10年以上も前の母のものでした。

 通夜の席には無理を言ってパフとモモを斎場まで連れていきました。母が入院中ずっと会いたがっていたのに、それが果たせませんでしたので。犬たちは見知らぬ場所血連れ出され興奮してしまって大変でしたが、最後に会わせることができてよかったです。

 いたらない喪主でしたが、嫁さんや妹や弟、その家族のみんなの力を借りて、なんとか乗り切ることができました。
 今、お骨と一緒に帰ってきたところです。これからもまだやることは山のようにありますが、とりあえずはホッとしています。

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2004.07.04

翻訳ミステリー・オールタイム・ベスト

 ジャーロから「翻訳ミステリー・オールタイム・ベスト100」アンケート用紙が届く。
 締切は9月末だったけど、放っておくと忘れてしまいそうなので、さっさとメールで回答。
 今回は単行本単位でしか回答できないということなので、僕がオールタイム・ベスト1としていつも選んでいる「ドルリー・レーン4部作」という括りはできない(このシリーズ、4作でひとつの作品だと思ってるんだけどなあ)。致し方なくベスト1は『Yの悲劇』で。
 ただ、いつまでも『Yの悲劇』をベストとするところが、ある意味僕の限界点なのかもしれない、と思ったり。最近「クイーンの呪い」なんてものについて考えてしまうのですよ。初期クイーン作品を本格ミステリの理想としてしまったがために、自らに作家として大きな枷を嵌めてしまっているのではないか、と。他のスタイルの本格ってのが思いつけないのね。

『宙』の再校ゲラと『鴇色の仮面』の初校ゲラが届く。我が家は宿少祭り。
 もしかしたら続いて『狩野俊介の記念日』のゲラも近々届くかもしれない。刊行日はまだ決定してませんが、イラストの末次徹朗さんのスケジュールと体調次第では、かなり早めに書店に並ぶかも。でも、末次さんに無理は絶対にしてもらいたくないです。

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2004.07.01

推理作家協会賞パーティ

 29日は推理作家協会賞パーティ出席のため上京。
 早めに東京へ行き、某社の編集さんと打ち合わせ。小説の仕事をするのは初めてのところなので、新シリーズ立ち上げのための企画書というかシノプシスを持って臨む。とりあえず面白がってもらえたので、一安心。しかしこうやって僕は子飼いの探偵を増やしてしまうのだよなあ。

 打ち合わせ後、すぐ近くのホテルへ移動しパーティに出席。
 今年の受賞作は長編及び連作短編集部門で歌野晶午さんの『葉桜の季節に君を想うということ』、垣根涼介さんの『ワイルド・ソウル』。短編部門は伊坂幸太郎さん『死神の精度』 。評論その他の部門では千街晶之さんの『水面の星座 水底の宝石』 と、多田茂治さん『夢野久作読本』 。歌野さんと千街さんは本格ミステリ大賞とのダブル受賞です。

 いつもどおりの授賞式の後は、いつもどおりの歓談。今回はすでに原稿を完成させているものが多かったので、いつもより編集さんに頭を下げる回数は少なかったです。あらたに文庫の出版予定とかも聞いたので、ホームページのほうに告知しておかなければ。

 作家さんともいろいろ雑談。綾辻行人さんから『暗黒館』の進捗状況を伺う。2500枚の大作、しかも長期連載だから書き終えても手直しが大変らしい。「でも、うちには3500枚書いたひとがいますから」って、そうか、『屍鬼』を書いたひとが眼の前にいるんだから、頑張らざるを得ないか。

 田中啓文さんには『蹴りたい田中』の感想、というか大絶賛の言葉を。東京に向かう新幹線の中で読んでいてあまりの面白さに茫然としてしまったので。なんて言うか「ああ、生きていていいんだ」という気持ちになりました。しかし田中さんに「太田さんもああいうの書きません?」と言われ「いやあ、一歩踏み出す勇気がなくて」と答えたのは、一歩も二歩も三百歩も踏み出している田中さんに失礼だったかも。

 我孫子武丸さんからは「名古屋には『あんかけスパゲッティ』なるものがあるそうですが、それは美味いんですか?」と問い詰められる。いや、ご本人は問い詰めてるつもりはないんでしょうが、なぜか我孫子さんと話しているといつも問い詰められているような錯覚に陥るなあ。どうやら「あんかけスパ」のことを「タモリ倶楽部」で紹介してたらしい。うーん、「あんかけスパ」、僕は好きだけど僕の嫁さんは嫌い。つまり地元の人間であってもみんながみんな支持してるわけじゃないから、どう答えたらいいのか返答に困る。実際に食べてもらうしかないよなあ。

 パーティがお開きにあった後は歌野さん千街さんの二次会へ。そういえば去年の二次会では協会賞を取った上に阪神も好調でウハウハだった有栖川有栖さんに「星野は貸してるだけだからね」と釘を刺したのでしたが、今年は立場が逆転。いや、僕が賞を取ったわけじゃないんだけど中日首位だし。でも有栖川さんには「そろそろ星野を返してよ」とお願いしました。お願いされても有栖川さんだって困るだろうけど。

 二次会の後も一同は三次会に向かうようだったけど、たぶんカラオケだろうからと僕は退散。ホテルに戻ってバタンキュー。

 翌日、朝9時にホテルを出て東京駅に到着すると、静岡付近の集中豪雨のため新幹線がストップ。3時間以上待たされました。家にメールすると名古屋は晴れているという。東京もそんなにひどい雨ではなかったので本当に局地的な雨だったんだな。

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