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2004.08.29

みそ煮込み南湖

 大阪の講談師旭堂南湖さんが名古屋で講談を披露する「みそ煮込み南湖」の三回目。会場は僕の家から歩いていける距離にありました。
 演目は「新作講談 波照間島」「古典講談 寛政力士伝より 谷風の人情相撲」「講談紙芝居 原子怪物ガニラ」「探偵講談 乱歩一代記より 乱歩と神田伯龍」
 話芸をライブで楽しむ機会はあまりないでしょうが、お勧めですよ。日本語ってのはこんなに生き生きと楽しいものなのか、と再認識させてくれます。
「波照間島」は新作講談ということでしたが、ご本人が今一つの出来と感じたのか本編は粗筋だけ、ほとんどが南湖さんの沖縄滞在記でした。しゃべりによるエッセイという趣で楽しかったです。
 ご本人が「おまけですから」としきりに主張されていた「原子怪物ガニラ」も、怪獣フリークには興味ある作品でしたよ。大きな蟹がただ暴れるだけの話でしたけど。
「乱歩と神田伯龍」は蔵に籠もって新作執筆に悩む乱歩の許へ、明智小五郎のモデルとなった講談師神田伯龍が乱歩一代記を講談にしたいと尋ねてきて……いうお話。乱歩の半生をうまく紹介しながら、最後に世界をくるりと反転させ「うつし世」と「夢」を見事に引っくり返してくれました。

 講談の後は「乱歩と神田伯龍」の作者でもある芦辺拓さんと恒例の対談。アンケートを観客に書いてもらって、そこにある質問に答えながら、という形式でしたが、今回びっくりしたのは映画評論家の森卓也さんがいらしていたこと。僕は大学時代に森さんの『アニメーションのギャグ世界』を読んでいて、現在も中日新聞に連載されている映画評のファンだったんです。芦辺さんも『アニメーションのギャグ世界』を読んでいらしたそうです。やはりあの本は当時のサブカルチャー好き若者のバイブルだったんだなあ。対談の後、芦辺さんを交えて少しお話もさせていただきました。
 講談の後は会場でもあったお食事処「楽」で宴会。今日はちょうど南湖さんのお誕生日だったそうで、同じく誕生日だった参加者のちえべさんともどもケーキを贈られていました。
 宴会参加者はミステリ好きが多くて僕の本を読んでくださっているかたもいたので、楽しくお話できました。気持ちよく酒を飲んでいる間に、ついついあまり余所には洩らせない業界の裏話もしてしまったような。いかんなあ、僕は普段アサリのように口が堅い人間なんだけど。ま、アサリってのは酒蒸しするとバッと口を開いちゃうもんですが。

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2004.08.25

久しぶりのステーキ家

 4月頃から行こう行こうと言っていながら、母親のことなどでドタバタとしていて引き延ばしになっていました。
 本当に久しぶりのステーキ家です。
 8月のメニューは牛肉のたたき、サーモンとあおり烏賊のタルタル胡瓜ソース、揚げ茄子の枝豆クリーム和え、榎茸のポタージュ、煮穴子入り洋風蒲鉾、ご飯と烏賊塩辛のピザ風ガレット、モロヘイヤのナムル、ステーキ、そしてインド風カレーに食後のデザートとコーヒー。
 今回一番美味しかったのは、冷たく冷やした揚げ茄子に枝豆入りのクリームを和えたもの。すりつぶした枝豆とクリームの組み合わせが絶品。塩辛の風味が利いたガレットも美味しかった。
 いつものようにカレーはおかわりしてしまいました。満腹満足。

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2004.08.23

続けて

今度はモモの写真です。 晩御飯のおかわりをねだっているところです。
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2004.08.22

ケータイ機種変更

携帯電話をV602SHに変更しました。2メガピクセルのデジカメ付きです。さっそく写メールをアップしてみます。
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四十九日

 お坊様に来ていただいて四十九日の法要。
 これで母親も、あの世に辿りつけたわけです。
 とうとう、行ってしまったんだなあ。

 今年は夏の終わりが、いつになく寂しい。

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2004.08.21

歌を歌う

 岐阜で行われるSF大会参加のために、北海道その他からかつてのRT(リアルタイム会議、パソコン通信におけるチャットのことです)仲間がやってきたので、未読王さんとともに迎撃オフ。
 一次会は王様が見つけてきたとても安くて料理もそこそこの居酒屋へ。手羽先唐揚げなど食べながら旧交を温めました。
 そして二次会は予告されていたとおりカラオケ。
 ええ、行きましたよ。今回は覚悟して歌っちゃいましたよ。もとまろ「サルビアの花」から始めて浜田省吾の「ラスト・ショー」、アリスの「帰らざる日々」として最後は森田童子「ラスト・ワルツ」。なんというか、ひたすら暗いラインナップ。それでも森田童子で「さよなら僕の友だち」にしなかったのは、ぎりぎり理性が働いたと思ってください。
 家に帰って風呂に入ったとたん、予想どおり自己嫌悪の波に呑まれました。
 湯船の中で顔を手で覆い、声にならない声で呻いてしまいましたよ。
 僕がカラオケをひたすら避けてるのは、必ずこの自己嫌悪に苛まれるからなんです。
 下手なくせに人前で歌ってしまったこと、しかも歌っている最中は軽く自己陶酔さえしていたこと。そのことがふと我に返ったとき、とてつもなく恥ずかしく、身悶えしたくなってしまう。それがもう、いやでいやでたまらないんです。
 どうしても歌わなきゃならないなら、誰もいないところで歌いたい。
 さもなきゃ、ちゃんとポイストレーニングを受けて、人前でも恥ずかしくない歌唱力を手に入れてからでないと、たぶんこの自己嫌悪は消えないだろうなあ。

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2004.08.19

ゲラ、ゲラ、ゲラ

『藍の悲劇』ノベルズ版のゲラをやっとのことでチェックし終え、編集さんへ送付。
 あとがき、著者のことば、参考文献リストといった原稿もメールで送信して、これで一段落。
 と思ったら、すかさず『レストア』第一話『夏の名残のバラ』のゲラがやってくる。わーい。
 次のゲラは文庫版『狩野俊介の肖像』だな。楽しみ楽しみ(って、ヤケ?)

 新作のほうは2年間放りっぱなしにしてしまった『月読』の原稿に、ついに再着手。
 今度こそ完結させられるか!?

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2004.08.15

戸田誠二という漫画家

 最初に出会ったのは「Hiミステリー」に掲載された『花』という短編でした。
 余命宣告された漫画家が残された時間すべてを創作に捧げていく様を、アシスタントの視線で追ったものでした。
 圧倒されました。
 さして長くもないページの中で、創作する者の自負と畏怖が見事に描き出されていました。そして見守るアシスタントの心の揺れ(こちちのほうが物語のメインなのですが)も、眼の前に突きつけられるようなリアルさで迫ってきました。
 以後、毎号一篇ずつ掲載される作品を、息を詰めるように読んできました。どの作品にも生と死、希望と挫折、夢と現実の狭間に立つ人間の姿が鮮烈に描かれていました。ときにそのタッチは荒々しく、しかし決してシニズムにも陥らず、ただ真正面から向き合うものばかりでした。
 現在、二冊の本が出版されています。『生きるススメ』『しあわせ』です。
 ネットで調べてみると、ご本人のホームページが見つかりました。じつはここで単行本に収録されている作品のほとんどを読むことができます。僕はすべて読ませてもらいました。その上で、上記二冊の本も購入しました。
 作品を自分の手の中に収めたい。そう思うからです。
 一読をお勧めします。

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2004.08.12

ダウン

 母の入院していた病院のソーシャルワーカーさんからも、葬儀をお願いした会館の係員の方からも、同じことを言われました。
「残された方の健康に注意してくださいね。最初のうちは気が張っていらっしゃるでしょうけど、後になってガタッときますから」
 たしかにそういうものなのだろうなあ、とは思っていましたが、葬儀からちょうど一ヶ月経った日に、我が身に降りかかってきました。
 朝から全身がだるく、関節や筋肉が地味に痛い。意識もはっきりしなくて、体を動かすの億劫。
 体温を計ってみると37.6度。微熱の範疇ですが、滅多に発熱しない僕にとっては、これだけで危険信号です。
 翌日は38度を超え、食欲もない。下痢もひどく完全にダウン。その日は講談社の編集さんが名古屋にきて宿少完結の祝宴をすることになんていたんですが、食べ物を一切受け付けない状態では、それも無理。電話をしてキャンセルをお願いしました。
 その日の夜、体重を計ってみると1.5キロダウン。せめて体重が減っただけでも儲け物かな、と思ったんですが、体脂肪率が昨日より4パーセント上がったと聞いた嫁さんに「それって脱水症状起こしてるだけじゃない」と言われました。
 ああ、そうか。汗とか下痢とかで水分出してるわりには、水を飲む気も起きなくなってたからなあ。久しぶりに心臓に痛みが走ったのも、そのせいか。ちょっとまずいかも。
 無理して水を流し込みましたよ。
 今日になってやっと平熱に戻りました。でも丸一日食べてなかったせいもあって、体が動きません。今日一日は家でじっとしています。

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文庫版『鴇色の仮面』

 ホームページにカバー画像をアップしておきましたが、もう書店には並んでいるでしょうね。
 今回『摩天楼の悪夢』『紅天蛾』と同じく藤田新策さんに装訂をお願いしましたが、前二作とは雰囲気が変わっています。正直言って、恐いです。子供が泣くかも。
 解説は早見裕司さんにお願いしました。力のこもった素晴らしい文章です。

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2004.08.10

田中啓文さん迎撃

 田中啓文さんが名古屋に取材にいらっしゃったということで、迎撃オフに行ってきました。
 詳細は大矢博子さんの日記に譲ります。
 今回、愛知の民俗に関する資料をお探しのようだったので「それなら熱田の泰文堂がいいかも」とお勧めしたら、翌日さっそくいらして資料本を買われたそうな。
 ああ、まだあってよかった泰文堂。じつはここ10年ばかり行ったことがなかったんですよね。郷土史の本を出版もしている本屋さんなんだけど、昔から「小さいからいつ無くなってもおかしくないなあ」と思いながら通っていたんですが。
 これからも頑張ってくれ泰文堂。

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2004.08.06

ガマ王子VSザリガニ魔人

 厚生年金会館でG2プロデュース公演『MIDSUMMER DAROL ガマ王子VSザリガニ魔人』を観劇。
 相変わらす後藤ひろひとの作品はタイトルがすごいね。前回は『ダブリンの鐘つきカビ人間』だったし。
 今回の作品は「MIDSUMMER DAROL」というタイトルが示すとおり、『クリスマス・キャロル』がモチーフになっていました。舞台はとある病院。そこに入院している傲岸不遜で意地悪で依怙地な金持ち老人と、交通事故で両親を失い自らも脳に損傷を負って一日しか記憶を留めておくことができない少女のお話。それに一癖も二癖も百癖もある入院患者や医師、看護士たちが絡んでくるんだけど、物語はびっくりするくらいストレートなものでした。これまで後藤ひろひと作品はいくつか観ているんだけど、ホラーにもファンタジーにもシュールにもならず、あくまでリアルな設定の中で物語が進むなんて、初めて。『クリスマス・キャロル』なのに幽霊も出てこない。
 しかしね、これがもう、じつにいいんですよ。「お前が私を知っているというだけで腹が立つ!」というのが口癖の意地悪老人が、一晩眠ってしまうと前日の記憶をすべて失ってしまう少女にだけは自分のことを覚えていてもらいたくて切ないまでに奮闘する様が、結果としてすべてのひとの記憶に残る奇跡を起こす。最後はもう、涙涙。
 しかしそこは後藤ひろひとですから、ただ泣かせはしない。泣かせどころでビシバシとギャグを入れてくるので、観てるこっちは涙流しながら大笑いをさせられてしまいます。やっぱりいいな後藤ひろひと。一生ついていきたい。
 キャスティングもなかなか良。少女役に大人を使わず本当の少女を起用したことが、今回成功してましたね。
 ただ初舞台だった伊藤英明長谷川京子は、やはり舞台向きの演技がまだまだできていなかったような。ハセキョーは結構重要な役所なのだけど、今一つ説得力に欠けたり。伊藤英明も元天才子役という雰囲気ではなかったしなあ。ふたりだけのシーンになると、別の意味でハラハラしたりして。でも伊藤英明、最後にハジけたね。ザリガニ魔人最高でした。

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2004.08.05

『宙』届く

 宿少最終巻『宙』の見本が届きました。
 ついに最後です。
 週末には書店に並ぶでしょう。
 今まで読んできてくれた皆さんがどんな感想を持つのか、楽しみなような恐いような。

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2004.08.03

名古屋名物

 e-NOVELSの読物、田中啓文さんと我孫子武丸さんの掛け合いエッセイ「食は応酬にあり」の今回のお題は「あんかけスパ」。中身を読んでいただくとわかるとおり、おふたりにあんかけスパを食べさせたのは僕です。
 反応は、ほぼ予想どおり。正直なところ、あんかけスパを食べていきなり絶賛するひとは少ないと思う。
 何度か食べていると、胡椒を効かせたとろりとしたソースに馴染んでくるでしょうけど(でも、うちの嫁さんは馴染めずにいるよなあ)。

 ところで最近、名古屋方面が経済的に元気なせいか、名古屋の食文化もやたらクローズアップされているような気がしますね。でも地元民としては少々違和感を覚えなくもないのです。
 こんな「名古屋名物」あったっけ? と思うこともあるんで。
 そもそも僕が子供の頃、名古屋名物といえば「ういろう」と「きしめん」しかなかったと思います。名古屋を訪れたひとがお土産に持ち帰るアイテムですね。
 味噌カツ、手羽先唐揚げ、天むす、ひつまぶしなんてものは、僕が大人になった頃にやっと認知されてきたように思います。少なくとも僕は、子供の頃は知らなかった。たぶん一部地域で普及してたものの、全名古屋にあまねく広がっていたわけではないのでしょう。それがマスコミに取り上げられることで全国区となり、結果的に名古屋全体に普及したのではないか、というのが僕の憶測です。
 この頃ではその傾向がさらに顕著になってきましたね。この前「名古屋名物切寿司」というのを名古屋ローカルの番組で観たんですが、こんなの、全然知りませんでした。どうやらある寿司屋限定のメニューのようです。僕は試しにここで食べてみたんですが、味が濃くてちょっと馴染めませんでした。でもこれも、子供の頃から食べてたら懐かしい味として認知できるんだろうなあ。
 さて、次にブレイクする名古屋名物は何だろう? やっぱりなごやんかな。それとも小倉トースト
 

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2004.08.01

仏壇開き

 我が家にお仏壇が入りました。
 仏壇というのは、ただ買ってくればいいというものではなく、開眼法要というものを営まなければなりません。御本尊をお迎えして先祖の位牌を祀る、いわゆる仏壇開きというものです。
 仏壇の御本尊(曹洞宗なのでお釈迦様の木像、そして道元、瑩山の両宗祖の掛軸)に御飯、茶湯、仏花、上用饅頭をお供えし、さらに山、海、陸の御供え(椎茸、昆布、季節の野菜果物など)、そして霊供膳といって小さな食器に御飯や味噌汁、煮物、漬け物といった精進料理を入れてお供えします。そしてお坊様をお迎えし、法要を営んでいただくわけです。
 供物の数からして、かなり大変なことはわかってもらえそうですよね。ほんと、てんやわんやでしたわ。
 何度も書いているように今まで仏様と生活を共にしたことがないので、何から何まで初体験。買い物やら掃除やら、とにかく慌ただしかったです。
 それでも妹や嫁さんのお母さんにも参列していただいて、なんとか無事に済ませることができました。お坊様の話では、これから御本尊様が我が家の守り仏となり、仏壇があの世とこの世の架け橋になるとのこと。つまり仏壇がどこでもドアでお釈迦様がドラえもんってことですか(仏罰当たりそうなこと言ってるな)。

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