エッセイ書きました
日販通信11月号に「書店との出会い」というテーマでエッセイを載せました。
一般のひとは読む機会のない雑誌だと思うので、同じものをここにも載せておきましょうか。
『あの約束の本屋』
太田忠司
高校の頃から通っていたのは、家から徒歩十分程度のところにあった有隣堂書店という小さな本屋だ。
今でもはっきり覚えている。手前が雑誌のコーナー、奥が単行本。文庫棚にはまだ読んだことのない本がびっしりと詰め込まれていた。ちょうど角川文庫で横溝正史や高木彬光、鮎川哲也といった大家の作品が次々と刊行され、遅ればせながら読書熱に取り憑かれたミステリ少年の渇望に応えてくれていた時期だった。
店長は開高健の大ファンで、『オーパ』で開高が歩んだ道程を自分でも辿って旅をし、その顛末を開高自身に書き送って返事をもらったという強者だった。話好きで、眼鏡をかけた丸っこい髭面はいつも笑顔に溢れていた。僕はいつもレジで店長と話し込んだ。店長は特にミステリ好きというわけではなかったけど、本当に本が好きなひとだった。
正月は元旦から店を開けていた。レジには一升瓶が置かれ、客たちに酒を一杯ずつ振る舞っていた。僕ももちろん頂戴した。
一度、取次に本を取りにいくのに同行したことがある。店長は愛車トヨタスポーツ800オープンカーの助手席に僕を乗せ、風を切って名古屋の街中を疾走した。本屋ってなんてカッコいい仕事なんだろう、と僕は本気で思った。
この店で「幻影城」という探偵小説雑誌に出会った。一読してたちまち魅了された。そこには僕の大好きな小説が載っていた。バックナンバーがかなりあったので、それを全部買うことにした。もちろん一気に買い込むだけの資力はない。毎月一冊ずつ必ず買うから、他の誰にも売らないようにと頼み込んだのだ。店長は快く承諾してくれた。その頃は昼間働いて、夜は大学に通っていた。給料は生活費以外のほとんどが本代に消えていた。乏しい小遣いの中から当時七百五十円もする雑誌を毎月二冊(新刊も出てたから)を買うのはしんどかったが、それでも頑張って買いつづけた。
当時から小説家になる夢を持っていた僕は「幻影城」の新人賞にも応募した。しかし僕が原稿を送ったとたん「幻影城」は休刊となり、数ヶ月を費やして完成させた僕の原稿も行方不明となった。
それでもめげずに今度は講談社文庫主催の星新一ショートショートコンテストに応募した。第一回、第二回はあえなく惨敗。しかし三度目の正直で優秀作に選ばれ、生まれて初めて自分の書いた小説が活字になった。店長は祝宴を開いてくれた。ふたりだけ、小さな居酒屋でビールで乾杯する程度のささやかな宴だった。
でも、そのときのことは今でもはっきりと思い出せる。あの日、いつかふたりで本屋をやろうと約束したのだった。自分たちが好きな本だけを並べる、多分全然客の来ないであろう店を。
僕は自分の大好きな本格ミステリの新作が本屋に並ばないことが不満だった。いつまでも横溝の旧作じゃないだろう、と思っていた。本屋を作ったら、本格ミステリを書く新人作家の本を並べたかった。
店長がどんな本を並べたかったか、わからない。でも実際に本屋を経営して意に染まない本も売らなければならない現状に倦んでいたのかもしれない。
時は流れ、僕は作家となり、母親と一緒に暮らすために家を建て、以前の家は取り壊した。あの町とも縁が途切れてしまった。
その母も、今年の七月に亡くなった。
この前久しぶりにあの街に行ってみた。有隣堂書店は消えていた。あの店長がどこに行ってしまったのか、現時点ではわからない。でも多分、あの丸っこい顔に笑みを浮かべて、どこかの本屋のレジに座って客と話し込んでいるだろう。
あ、もしかしたら、それは僕らの約束した本屋かも。だったら、行かなきゃ。
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コメント
お久しぶりです。(覚えていらっしゃらないかもしれませんが)
このエッセイを読んで、私も、昔通った懐かしい書店を思い出しました。
そしてやっぱり、本の配置、どのコーナーでどの本の背表紙を眺めていたか、等々すべて思い出せてしまい、少し驚いていたり。
雑誌のバックナンバーを一冊、また一冊と取り寄せたことも、やっぱりありました。
なんだかとても懐かしく、しみじみとした気分になりました。
ありがとうございます。
投稿: 千祈 | 2004.11.11 00:32
>千祈 さん
本の好きな人間にとって本屋って特別な場所ですよね。
特に通い慣れた本屋さんは。
だから忘れないんだと思います。
そういう思い出って、自分の財産ですよね。
投稿: 太田忠司 | 2004.11.11 10:29
こんばんは。しばらく前に掲示板にカキコミさせていただいたものです。
すごく、素敵です。しみじみいいなぁとうらやましく思いました。
小・中・高と進学するたびに通う本屋は変わっていきましたが、その大半が今はないんだとちょっと寂しく思い出しました。一番大きな駅近くの店が呉服屋になっていたのには心底びっくりしました(それももう何年前なのか…)。変則的な店構えのお店で面白かったのですが。
今は東京ぐらしで、本屋には全然困らないのですが、その分よそに浮気していると棚が変わっていて、それに困ったりします。昔行ってた本屋ではあまりそういうことなかったなぁということにも気付かされました。ありがとうございます。
投稿: aki | 2004.11.11 22:39
>aki さん
昔は「青春」なんて言葉、こっ恥ずかしくって言えませんでしたが、この歳になると「ああ、あれが青春だったんだなあ」と思うことがしばしばあります。
あの本屋さんは、僕にとっての青春の一部でした。
人が変わっていくように町も変わり、風景も変わってしまいますが、思い出すという行為は失われたものを再構築することでもありますね。
投稿: 太田忠司 | 2004.11.13 08:09