『忌品』
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ここには書いてませんでしたが、二回目の抗癌剤投与&五回目の腫瘍切除手術をしました。手術のほうは局部麻酔で簡単に済むものでしたが、連れて帰ってきたら手術痕からかなり出血し、抱いていた僕のシャツが血みどろになりました。慌てて獣医さんに電話をいれて「どうしましょうか?」と訊いたんですが「大丈夫、タオルで縛っておけば止まります」と。言われたとおりにしたら、たしかに止まりましたけどね。
で、今日、血液検査をしてもらったんですが、肝臓と腎臓の機能はそれほど悪くなっていないようなんですが、血小板と白血球の数値が下がっているそうで。血が止まらなかったのは、そのせいかなあ。
「犬は自分の症状を言葉で表現することができないからわかりにくいですが、たぶん疲れやすくてだるいと思いますよ」と言われたんですが、そうなのかな。そんなにだるい子が、毎日食事の後でボール遊びを強要するかなあ。
ともあれ、清潔にしてやってあまり疲れさせないようにしよう。だからボール遊びもほどほどにしなさい>パフ
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上方講談師・旭堂南湖さんの講談を聴いてきました。
会場はお馴染み「お食事処『楽』」、我が家から歩いていけるところです。
今回は古典講談の「無筆の出世」が面白かった。読み書きができないがゆえに災難に遭い、それが転じて大出世するというお話で、その落差が楽しめました。探偵講談「血染めの鞄」はサスペンスものとして良い出来でありました。探偵が直感で「怪しい」と睨んだ人間が本当に怪しかったり、別々の事件が脈絡なくくっついたりと論理性はほとんど皆無なんですが、語りとして聴かされていると、なんだか納得できてしまう。なるほどなあ。
毎度お馴染みの講談紙芝居「原子怪物ガニラ」は、毎度のことながら佳境に入ったまま次へと続く。早く終わりを知りたいような知りたくないような。
講談の後の恒例となった芦辺拓さんとの対談も楽しく拝聴しました。存続が危ぶまれていたのですが、来年も2月にあるようなのでホッとしております。名古屋の皆さん、講談って面白いですよ。ぜひ一度、聴きに行きましょう。
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別冊文藝春秋2006年09月号に月読シリーズ新作『般若の涙』を掲載しました。
ミステリーズ!vol.18に奇談蒐集家シリーズ新作『水色の魔人』を掲載しました。
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10日の朝、パフを獣医さんのところに連れていきました。二回目の抗癌剤投与です。
一回目がうまくいったから今度も大丈夫、とは言えませんでした。体にとって毒でもある薬を入れるんですからね。どうなるかはわからない。点滴が外れて薬剤が血管の外に入ると筋肉の壊死が起こって最悪の場合断肢ということもあり得る、とも言われました。インフォームド・コンセントってやつでしょうけど、話を聞いてるだけで血の気が失せました。
一応病院に一泊させて翌日引き取ることになっていますが、アクシデントや副作用の出方次第ではそのまま病院に留め置かれるかもしれない。すべては結果待ちです。
そんな状態のままパフを預け、僕はひとり新幹線に乗り込みました。宇山さんのお通夜に参列するためです。
蒲田のホテルにチェックインして喪服に着替え、川崎の斎場へ向いました。
斎場で「宇山」という名前を眼にした瞬間、ああ、本当に宇山さんは死んでしまったんだと、あらためてショックを受けました。どうやら僕は、そのときまで心の底では宇山さんが亡くなったということを信じていなかったみたいです。しばらく、その場から動くことができませんでした。
祭壇に飾られていた遺影、本格ミステリ大賞のトロフィと一緒に写っていた宇山さんのお顔が、とても柔らかで楽しそうでした。
でもその遺影の前に立って焼香をしたときから、僕は感情のコントロールができなくなってしまいました。通夜振る舞いの席で誰彼かまわず抱きついて泣き出したり、その後で普通に喋ったり笑ったり、でもまた泣いたり。ほんとにもう、どうしようもなかった。
ショートショートランドの時代からほぼ四半世紀、宇山さんは、僕にとっては肉親、本当に世話をかけてしまった叔父さんみたいな存在でした。ずっと会わないことがあっても、顔を合わせれば「やあ元気?」と言ってくれる。ちゃんと僕の仕事ぶりをみていてくれる。そして絶好のタイミングで素晴らしい仕事をさせてくれる(ミステリーランドのことです)、そんなひとでした。僕は宇山さんの懐の深さに甘えて、他の編集者が目もくれないようなへんてこな作品を書いてしまっても、宇山さんならきっと読んでくれる、そう思ってきました。
でももう、宇山さんがいない。どうしよう? どうしたらいい?
うろたえている僕の前に、喪主である宇山さんの奥様が来てくださいました。またまた感情を制御できなくなって抱きついてしまった僕を抱きしめて「ありがとう、いい本を書いてくれてありがとう」と言ってくれました。
泣きながら、ああそうだ、そうなんだ、と思いました。何が「そうだ」なのか、僕にもわかりません。ただ「そうだ」と思ったんです。
それで少し、楽になりました。
その後、居酒屋を借り切っての通夜振る舞いの二次会(?)では、普通に振る舞うことができました。最後に奥様に挨拶するときには、また泣いてしまいましたけど。
蒲田のホテルで一泊し、翌日は朝一番で名古屋に戻ってきました。
駅で獣医さんに電話を入れると「引き取っても大丈夫」と言われ、膝の力が抜けるほど安堵しました。すぐに病院に向うと、パフは入れられていた檻の中で元気に跳ねていました。今のところ、問題はないようです。
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講談社の担当さんから宇山日出臣さんの訃報を知らされたのが、4日の夜のことでした。
それから数日経って、新聞にも訃報が載っているのを読んだのですが、そして今日もお通夜に伺うために新幹線のチケットとかを取りにいったりしているのですが、それでも、まだ、実感が湧きません。宇山さんが亡くなった? そんな、馬鹿な。
僕のホームページのプロフィールのところにある「ものかきへの長い道」というエッセイにU氏という編集者が登場します。ショートショートコンテストで優秀作に選ばれてショートショートランドという雑誌に投稿をしていたとき、誰よりも熱心に僕の原稿を読んでくれた編集者。そして僕に本格ミステリを書いてみないかとと言ってくれた編集者。
それがU氏……宇山さんでした。もしも宇山さんがいなかったら、僕は間違いなく、作家にはなっていなかったでしょう。
僕だけではありません。当時すでに過去のものと思われていた本格ミステリを新人作家の発掘によって再生させ、現在のような隆盛に導いた立役者、それが宇山さんでした。宇山さんの手で産声を上げた作家は、他にもたくさんいます。
宇山さんが定年前の仕事として立ち上げた企画であるミステリーランドでも声をかけてもらい、それに応じて書いた『黄金蝶ひとり』でうつのみやこども賞をいただくことができました。何もかも、宇山さんのおかげです。
ここ数年、体調を崩しておられることは知っていましたが、ときおりパーティなどでお見かけするときは元気で、まだいろいろなお話を聞くことができました。だからこそ、唐突に思えてなりません。
「ご冥福をお祈りします」という言葉を、まだ口にすることができません。そんなことを言ってしまったら、本当に宇山さんがいなくなってしまったということを認めたことになってしまう。だから、お通夜に伺って、宇山さんに会ってくるつもりです。
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