追悼 栗本薫さん
推理作家協会賞パーティから一夜明け、名古屋に戻って昼御飯を食べるためにラーメン屋に入り、出来上がるのを待っている間にケータイでメールチェックをしてみたら本多正一さんからのメールでタイトルが「栗本薫さん」
メールの中身を見る前に、内容がわかりました。
ご病状は聞いていたので、いつかは、と思っていました。でも、やはり、唐突でした。
僕にとって栗本薫というひとは、まず雑誌「幻影城」の評論新人賞でデビューした、僕より少し年上の若手、でした。次いで『ぼくらの時代』で乱歩賞を取り、『絃の聖域』や『鬼面の研究』といった本格ミステリの名作を物し、同年代の旗手となったひとでした。旺盛な執筆力はあらゆる分野に及び、自分とは好みが違う作品が増えてしまったので追いかけるのはとうに諦めていましたが、それでもずっと、栗本さんは“僕らの時代”の作家でした。
打ち明けてしまいますが、自分のデビュー作に『僕の殺人』という題を付したのは、『ぼくらの時代』を意識してのことでした。栗本さんの世代にはまだ存在した「ぼくら」という連体感覚みたいなものは薄れて今は「僕」という個の世界に収束しているんだよ、というつもりで書いたのです。
講談社文庫版『仮面舞踏会』の解説を書かせていただいたのも、印象的な思い出です。
なんだか取り止めもなくて、何を書いたらいいのかわからないくらい混乱しています。今はただ、ご冥福をお祈りするばかりです。
メールの中身を見る前に、内容がわかりました。
ご病状は聞いていたので、いつかは、と思っていました。でも、やはり、唐突でした。
僕にとって栗本薫というひとは、まず雑誌「幻影城」の評論新人賞でデビューした、僕より少し年上の若手、でした。次いで『ぼくらの時代』で乱歩賞を取り、『絃の聖域』や『鬼面の研究』といった本格ミステリの名作を物し、同年代の旗手となったひとでした。旺盛な執筆力はあらゆる分野に及び、自分とは好みが違う作品が増えてしまったので追いかけるのはとうに諦めていましたが、それでもずっと、栗本さんは“僕らの時代”の作家でした。
打ち明けてしまいますが、自分のデビュー作に『僕の殺人』という題を付したのは、『ぼくらの時代』を意識してのことでした。栗本さんの世代にはまだ存在した「ぼくら」という連体感覚みたいなものは薄れて今は「僕」という個の世界に収束しているんだよ、というつもりで書いたのです。
講談社文庫版『仮面舞踏会』の解説を書かせていただいたのも、印象的な思い出です。
なんだか取り止めもなくて、何を書いたらいいのかわからないくらい混乱しています。今はただ、ご冥福をお祈りするばかりです。
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