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2011.03.31

ショートショートの炊き出し『友達のこと』その7

『お土産――ヨリコのこと』

 昼御飯を食べた後に宅配便が届いた。ヨリコからだった。
 差出人の住所は「沖縄県那覇市」となっている。
 小さな箱だった。開けてみると素焼きのシーサーが入っていた。
 いつものように手紙とかは入っていない。ただ品物だけ。ヨリコらしいな、と思った。
 そうか、彼女は今、沖縄にいるのか。
 シーサーをサイドボードの飾り棚に入れる。隣には小さなこけし、その奥には蛙の根付が置いてある。どれもみな、ヨリコからのお土産だ。
 彼女とは高校のときに知り合った。活発でよく笑い、いつでも猛ダッシュで走っているような子だった。すべてにおいて引っ込み思案なわたしとは好対照の性格だったが、なぜか仲が良くなった。
 高校生の頃からヨリコは旅行好きで、休みに入るといつもどこかに旅をしていた。女子高生ひとりで旅をするなんて無謀にしか見えなかったが、彼女はまったく気にしていなかった。そして旅先からわたしに、何かを送って寄越した。初めて貰ったのは亀の形をしたキーホルダーだった。それからはきれいに彩色された繭玉とか、鼠の姿を象った土鈴とか、旅先からの便りなどは一切なく、ただお土産だけが送られてきた。
 高校を卒業するとわたしは地元に残り、ヨリコは東京の大学に入学した。以来、一度も彼女とは会っていない。しかしお土産だけは、ぽつぽつと届けられた。木彫りの猫、町と花火が描かれた扇子、バネ仕掛けで口を開けるカバ。その都度、差出人の住所は旅をしている場所のものだった。
 彼女はあらゆる土地を旅していた。どうやらすべての都道府県を巡るつもりらしいと気付いたのは、わたしが地元の小さな会社に就職した頃だった。彼女が送ってくれたお土産と共に宅配便の送付状を全部保管していたから、わかったのだった。
 その目的が達成された頃、わたしは結婚した。相手は会社の同僚だった。ヨリコにも結婚式の招待状を送ったのだけど、返事の代わり届いたのは花嫁の横顔が描かれたシャガールのリトグラフだった。差出人住所はニューヨークとなっていた。
 ヨリコはそのまま世界一周の旅に出たようだ。イタリア、スペイン、モロッコ、エジプト、インド、中国……様々な国の土産物が何ヶ月かに一回、届けられた。どれも小さな、しかし趣味のいいものばかりだった。
 ふたりめの子供を出産した頃、再び彼女からのお土産は国内のものに戻った。今まで行っていなかった他の土地を巡ることにしたらしい。
 そうしてまた数年が過ぎた。わたしの子供たちも大きくなり、わたしたち夫婦は歳を取った。でもヨリコからのお土産は相変わらずだった。
 リビングのサイドボードは彼女からの土産物で埋めつくされていた。初めて貰った亀のキーホルダーから最新のものまで、全部並べている。一言も添えられていなくても、そのお土産はどれも彼女からの言葉だった。
 シーサーを貰ってから四ヶ月後、彼女から新しいお土産が届いた。
 箱を開けたとき、思わず声をあげそうになった。そこに入っていたのは花を象った七宝焼のブローチだった。それ自体は特に問題なわけではない。ただ、見覚えがあったのだ。
 十年前から趣味で七宝焼のアクセサリーを作っていた。これが結構評判になり、作ったものを展示販売することになった。今、わたしの作品は駅前のホテルの売店で売られている。
 ヨリコが送ってきたのは、間違いなくわたしが作ったものだった。
 慌てて送付状を見る。差出人住所は……この町だ。
 彼女が、ヨリコがこの町に来ている。
 居ても立ってもいられなかった。わたしは駅前のホテルに向かった。
 フロントには顔馴染のホテルマンがいた。わたしがヨリコの名前を告げると、たしかに宿泊していると部屋番号を教えてくれた。
 わたしはその部屋に向かった。いきなり現れて驚かしてやるつもりだった。
 ドアをノックする。わたしの顔を見たら何と言うだろう、そもそも顔を覚えてくれているだろうか。いろいろなことを考えながら待っていると、ドアが開いた。
 姿を見せたのは、中年の男性だった。彼はわたしの名前を口にした。
 少々うろたえながら頷くと、彼は柔らかく微笑んで、
「お待ちしてました。きっと来ていただけると思いましたよ」
 と部屋に案内された。
「わたしは、ヨリコの夫です」
 彼は言った。
「妻は二十年前、フランスで交通事故に遭い、寝たきりになってしまいました。旅好きだった彼女がどこにも行けなくなるなんて、残酷なことです。でも妻は、明るさを失いませんでした。『自分が行けないなら、あなたが代わりに旅をしてきて』と言って、私を旅に出しました。彼女が行きたいと思うところに私は出かけ、旅先で土産物をふたつ買いました。ひとつは妻のために、そしてもうひとつは、あなたのために」
 では、この二十年、わたしのところに送られてきたお土産は……。
「彼女はいつも、私と一緒に旅をしていたのです。あなたへのお土産は、その証です」
 それで、彼女は? ヨリコは今?
「彼女は旅に出ました。どうやらこの世界を旅することは飽きたみたいでね。遠くに旅立ってしまいましたよ。つい先週のことです」
 ヨリコが……。
「あなたにお土産があります。彼女からの、最後のお土産です。これをあなたに渡すよう、言われました」
 渡されたのは陶製の、小さな天使の像だった。
「ヨリコは今、彼らの居るところにいます」
 わたしは天使を手の中に包み込み、静かに泣いた。

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2011.03.30

ショートショートの炊き出し『友達のこと』その6

『蜂蜜――トウジのこと』

 眼が覚めたのは朝十時過ぎ。当然のことながら午前中の講義には間に合わない。ま、いいか。今日はばっくれる。それでなくても二日酔いの頭はガンガン痛むし。
 トウジは毛布に包まったまま、まだ寝ている。
 トイレを済まして顔を洗ってから台所に立つ。食パンをトースターに放り込み、ベーコンをカリカリに焼いて、染み出た脂で目玉焼きを作った。ヨーグルトを取り分けてコーヒーを沸かす。
 その匂いに誘われたのか、トウジがもぞもぞと起きてきた。
「お、朝飯作ってるのか」
「おまえの分もある」
「悪いな。泊めてもらったうえにさ」
 さして恐縮している口調ではなかった。
 昨日は何人かで夜中まで飲んだ。そして終電を逃したトウジが俺のアパートに転がり込んできたというわけだ。
 ふたりでテーブルを囲んで朝食となった。
「野菜とかなくて悪いな」
「いやいや、ヨーグルトが付いてる分、おふくろが作る朝飯より豪勢だ」
 トーストにバターを塗り、齧りつく。
「美味い! おまえトースト作るの上手いな」
「誉めるならトースターを誉めてくれ」
 言葉を返しながらヨーグルトに蜂蜜を入れた。甘いものが欲しかったので、今日は少し多めにすると、蜂蜜のチューブをトウジに回した。
 見るとトウジは固まったように動かない。
「どうした?」
「おまえ、ヨーグルトに蜂蜜入れるの?」
「砂糖の代わりだけど。変か」
「いや……ごめん、俺、蜂蜜駄目なんだ」
「そうか。じゃあ砂糖を出すよ」
 ヨーグルトに付いてきたフロストシュガーを渡す。トウジはそれをヨーグルトに振り入れていたが、視線は蜂蜜のチューブに注がれていた。
「何か気になるのか」
「……ああ、蜂蜜が」
「見るのもいや?」
「……悪いけど」
 肩を竦め、蜂蜜チューブを片付ける。
「蜂蜜にトラウマでもあるのかよ?」
 と冗談めかして訊いたら、少しの間を置いて彼は言った。
「ある。聞いてくれるか」
「湿っぽい話でなきゃな」
「そういうんじゃない。笑い話だ」
 トウジは言った。
「あれは小学校六年のときだった。夏休みにじいちゃんの家に泊まりに行った。すごい田舍でさ、カブトムシやクワガタがたくさん採れたよ」
 その日もトウジは朝から虫取りをしていた。藪の中に入り込んで虫籠いっぱい虫を採った。
 気がつくと腕に血がついていた。藪の葉っぱで切ったらしい。痛くはなかったが、血が結構出ていた。
 トウジが家に帰ると彼の祖父さんは血を流している孫を見て驚いた。そして、
「待っとれ。すぐになんとかしてやる」
 祖父さんが持ってきたのは瓶に入った蜂蜜だった。それを指で掬い上げると、トウジの傷口に塗り付けた。
「蜂蜜には殺菌効果がある。どんな菌も蜂蜜の中では生きていけん」
 さすがじいちゃんは物知りだな、とトウジは感心した。そして昼御飯を食べると、また虫取りに飛び出して行った。
 午前中と同じくらい、虫は面白いように採れた。トウジは無我夢中であちこちを駆け回った。
「――さんざん歩き回ってヘトヘトになって、じいちゃんの家に帰ろうとしたときだ。いきなり腕のあたりがチクリと痛くなった。見ると傷をつけたあたりに蟻がびっしりと集っていた。いつの間にか蟻がよじ登ってきて、蜂蜜の匂いのする俺の腕に噛み付いたんだ」
 トウジは顔を歪ませた。そのときのことを思い出したのだろう。
「なんだよ、グロい話じゃないか」
 俺も渋い顔になった。
「朝からそんな話するなよ」
「悪いな。まあ、そんなわけで俺は、それから蜂蜜が嫌いになったんだ。だから――」
 トウジの声が途切れた。見ると、テーブルの一点を見つめている。俺もそちらに眼を移した。
 小さな蟻が一匹、這い回っていた。
 トウジの手が伸びる。彼が何をしようとしているのか理解できた。だから言った。
「やめろ!」
 びっくりしたように彼の動きは止まった。
「これはおまえを噛んだ蟻じゃない」
 新聞のチラシを使って、蟻をなんとか掬い上げた。そして窓から外に放り出す。
「虫も殺さないってわけか」
 トウジが揶揄するように言った。
「そんなんじゃないよ」
 俺は言った。
「蚊が俺の血を吸ってたら叩くし、蠅が来たら殺虫剤を撒く。でもあの蟻は、何も俺に悪いことをしていない」
「だから殺さない?」
「ああ」
 それからふたりは何も言わずに朝食を済ませた。なんとなく、気まずい雰囲気だった。
 トウジが帰った後、蜂蜜のチューブを持って外に出た。草むらの、蟻のいそうな場所で蜂蜜をひと滴、垂らした。
「家には来るな。いいな」
 そう声をかけて、部屋に戻った。

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2011.03.29

ショートショートの炊き出し『友達のこと』その5

『家出――リクのこと』

 おかあさんとケンカした。
 理由は言わない。男らしくないって言われるから。とにかく、お母さんとケンカしたから、もう家にはいられないと思った。
 だからリクといっしょに家を出たんだ。
 リュックにパンツとシャツとビスケットを入れて、水筒に麦茶を入れて、リクにはリードを付けてウンチ袋も持った。犬の飼い主として当然のマナーさ。
 家を出て、バス停をすぎて、歩道橋を渡った。リクはクルッとまるまったしっぽを振りながらいっしょに歩いた。
 クリーニング屋をすぎたところで、ちょっととまる。ここから先には行ったことがない。
 ここから先が、ほんとうの家出だ。
 ぼくはリクと一緒に、その先に進んだ。
 あたたかい太陽が光っていて、とても気持ちよかった。
 歩きながら、これから先どうしようかと考えた。電車に乗って知らない町に行ってみようか。そこで働きながら暮らすんだ。あ、でもぼくを雇ってくれる会社があるかな。まだ中学にも行ってないし。会社に入るには大学を出ないといけないのかな。だったら家出をするのは大学を出てからにしようか。いやいやいや、それじゃダメだ。今すぐでなきゃダメなんだ。
 だったら子供がほしい家に行って、その家の子供になればいいんじゃないかな。リクもいっしょに飼ってくれるような家がいい。どこかにそういう家があるといいんだけど。
 そんなことを考えていたら、のどがかわいてきた。水筒から麦茶を飲んでいると、リクがクウンとないた。
 リクものどがかわいているのかもしれない。あ、でも犬に麦茶をあげてもいいんだろうか。もしかして犬には毒なのかも。おかあさんが「犬にはタマネギをあげちゃダメよ。毒なんだから」と言ってたっけ。人間にはよくても犬にはダメな食べものや飲みものがあるんだ。
 こんなことならリクのためにも水筒に水だけを入れておけばよかったなあ。
 そんなことを考えていたら、目の前にコンビニが見えてきた。そうだ、あそこでミネラルウォーターを買えばいい。それくらいのお金ならあるし。
 でも店の前に行くと、ドアのところに「ペットおことわり」と書いてある。リクは入っちゃいけないのか。そんなのサベツだ。ものすごく腹が立ったけど、ダメって書いてあるからダメなんだろう。ぼくはまわれ右した。
 とぼとぼ歩いていると、またリクがクウンとないた。
「待ってろよ。もうちょっとがまんしろよ」
 頭をなでてやると、リクは僕の手をなめた。
 そのとき、自販機が目についた。これだ。
 ミネラルウォーターを買えた。中身を手で受けてリクの前に出してやると、リクはピチャピチャと音を立てながら水を飲んだ。
 それからまた歩いた。疲れて足がじんじんと熱くなってきたけど、がまんして歩いた。リクもちゃんとついてきた。
 お腹がすいてきたのでビスケットを食べた。リクにもあげた。
 どれくらい歩いたかわからない。空が少し暗くなってきた。気がつくと、知らない公園に出ていた。そこのベンチで少し休むことにした。
 公園にはだれもいなかった。大きな木が何本もあって、風にゆれて葉っぱが音を立てていた。それが怪物みたいに見えた。
 ちょっとだけ、こわくなってきた。
 ベンチからおりて、リクを抱きしめた。あたたかかった。心臓の音が、トクントクンとした。少しだけ安心した。
 でも、これからどうしたらいいのかわからなかった。ぼくとリクを住まわせてくれるような家が近くにあればいいのだけど、どこにあるのかわからない。ひとつずつ聞いてみようか。「すみません。子供と犬いりませんか」って。ダメかな。
「リク……どうしよう」
 心細くなって聞いてみた。リクは何も言わなかった。黒い鼻をなめて、何かのにおいをかいでいるようだった。
 そのとき、リクが急に動き出した。びっくりしてリードを放しそうになった。でもなんとかにぎりしめた。
 リクはぼくを引っぱって、どんどん歩いていく。
「どこに行くんだよ?」
 聞いても教えてくれない。どんどん歩いていく。
 大きなスーパーの前にきた。どこかで見たことのある店だった。
 リクは明かりのついた店の前で、ワン、とほえた。
「あら? どうしたの?」
 声がした。ふりむくと、おかあさんがいた。
 おかあさん……。
 ぼくは泣きそうになった。
「リクを散歩に連れていってくれたの?」
 おかあさんが言った。僕はだまってうなずいた。
「そう。ありがとう。じゃあ一緒に帰ろうね。あら? そのリュックどうしたの?」
「……なんでもない」
 そう言って、おかあさんの手を握った。リクはしっぽをふって一緒に歩いてくれた。
 その店から家まで、そんなに遠くなかった。僕は大まわりをして歩いていたみたいだ。
 家に帰って晩ごはんを食べた。カレーライスだった。リクにはさっき買ったミネラルウォーターの残りをあげた。
 今度家出するときは、ちゃんとリクの水も持っていこう、と思った。

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矢崎存美さんのショートショート

 僕と同じようにブログにショートショートを掲載されている方がいます。
 僕の古くからの友人である矢崎存美さんです。
 彼女の代表作『ぶたぶた』シリーズの主人公、ぬいぐるみのぶたぶたさんが登場する作品が二篇掲載されています。
 とても素敵な作品なのです。

http://yazakiarimi.cocolog-nifty.com/

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2011.03.28

ショートショートの炊き出し『友達のこと』その4

『前途――トシヤのこと』

 定年まであと五年だった。私は最後まで勤め上げるつもりだ。
 しかしトシヤは違った。
 その決意を聞いたとき、私は彼に尋ねた。
「辞めて、どうするんだよ?」
「やりたいことをやる」
 トシヤはさっぱりとした表情で答えた。
「コスタリカでゴミのリサイクル施設を造るんだ。その手伝いをしてくる」
 唐突な話に言葉をなくした。コスタリカ? どこの国だ?
「……それって儲かるのか」
「儲かるわけがない。海外ボランティアってやつだ」
 ボランティア? 仕事一途の人間だったトシヤが?
「……奥さんは反対しなかったのか」
「した。だから一年かけて説得した。納得はしないが諦めてくれた。一緒にコスタリカに行く」
 夫婦揃って……なんてことだ。
「息子も反対したが、あいつは俺から独立した人間だ。関係ない。俺の人生は俺の好きにさせてもらうよ」
 彼の言葉には強い意志が感じられた。
 私は生活のこととか現地の政情とか、いろいろ尋ねた。トシヤはそれに明確に答えた。何もかも調べ尽くし、万全の体制を整えているようだった。最後に言った。
「もちろん、どうなるかはやってみなきゃわからない。でも、やれるかどうかわからないことに挑戦してみたいんだ」
「そんなことは定年になってからでもいいだろうに」
 私が言うと、トシヤは笑って、
「今でなきゃ駄目だ。まだ体力と気力に自信の持てる今でなきゃな」
 その言葉に、なぜかひどく打ちのめされた。
 トシヤと私は同期入社で、いつも一緒に働いてきた。昇進もほぼ同時期、いや、私のほうが少し早かったか。とにかく妻よりも長い付き合いだった。彼の心根は知り尽くしていると思っていた。その彼が……私はその日、何とも言えない重い気分を拭えなかった。
 家に帰って、妻にトシヤのことを話してみた。
 当然、彼に対して批判的なことを言うと思った。しかし返ってきたのは意外な言葉だった。
「それ、ちょっと羨ましいわね」
「羨ましい? コスタリカに連れていかれるんだぞ。奥さんの身にもなってみろ」
「でも、結局は一緒に付いていく気になったんでしょ。きっと今頃は気持ちを切り替えて楽しみにしてるわよ。夢のある旦那さんを間近に見ていられるんだから」
 日頃は「男のロマンなんて女には迷惑なだけ」と言っている妻の言葉とは思えなかった。
「たぶん奥さん、今の旦那さんのことは誇りに思ってるんじゃないかしら。これがわたしの主人ですって」
 つまりおまえは俺のことを誇りには思えないってことか、と口に出かけて、無理矢理押しつぶした。そしてもう、トシヤのことは話題にしなかった。
 退職の日、ささやかなセレモニーが職場であった。女子社員が花束を贈り、専務がわざわざやってきて言葉をかけた。トシヤは恐縮し、涙を浮かべた。
 その光景を私は、複雑な気持ちで見ていた。
 最後にトシヤがひとりひとりに挨拶して回った。私のところに来たとき、彼は言った。
「すまん、会社を頼む」
「よせ、俺なんかが会社を任されたって何もできん」
「いや、おまえにしかできないことだ」
 トシヤは言った。
「俺は俺がここでするべきことを放り出していく人間だ。虫のいい話だが、後を託せるのはおまえしかいない。頼む」
 彼が去った後、私はその言葉について考え続けた。
 おまえしかできないこと。
 ここでするべきこと。
 考えても、ピンと来なかった。
 でも、わかった。それを考えることが、これからまず自分がしなければならないことだ。
 私は明日の仕事に向けての準備を始めた。

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2011.03.27

ショートショートの炊き出し『友達のこと』その3

『ふられ話――チサトのこと』

 チサトから電話がかかってきた。
「もしもし? どした?」
――…………。
 返事がない。この沈黙だけで、かけてきた理由がわかった。
「またフラれた?」
――…………。
 やっぱり沈黙。これは肯定の意味。
 やれやれ、相手に聞こえないように溜息ひとつ。
「じゃあ、八時にいつもの店ね」
――……うん。
 それだけ言って、電話は切れた。
 時間どおりに店に行く。チサトはいつ来るかわからないから、ひとりで勝手にビールを飲みはじめた。
 一杯目のジョッキが空になった頃、チサトが現れた。眼を真っ赤にしている。
 向かいの席に座ってわたしの顔を見るなり、また泣きだした。
 彼女にウーロンハイを、自分にはビールのお代わりと手羽先唐揚げを頼む。
「で、今度の相手は誰?」
「……バイト先の先輩」
 ふたつ年上で背が高く、かっこいいひとだったそうな。たぶん眉が細くて眼がちょっと危ない感じだったのではないかな。チサトが惚れるのは、いつもそういうタイプだから。
 それから延々と彼女の話を聞く。向こうから声をかけてきて、彼女もその気になって、すぐに付き合いはじめた。彼は優しくて男らしくて、とっても素敵なひと。わたし、一生懸命尽くしたの。あ、でも前みたいにウザがられるのいやだから、無理しない程度によ。最初はね、彼もわたしのこと、気の利くいい子だって言ってくれてたの。でもね、そのうちだんだん……わたし、そんなに重いかな?
「重いって言われた?」
「……うん。『おまえといると気が滅入る』って。そんなこと言われたら……」
 また泣く。
 泣き止むのを待って、チサトに言った。
「つまりね、あんたとその男とでは価値観が違ったのよ。それだけのこと」
 毎度毎度、彼女がふられるたびに同じことを言っている。価値観の相違。まあ、男と女の仲なんて、いつだってそういうことだし。
「……そうかなあ」
「そうだよ。さ、飲も」
 それからはふたりで飲みながらお喋り。といっても話すのは一方的にチサト。わたしはただ聞くだけ。男への誉め言葉が次第に悪口へと変わり、そんな男に惚れた自分の不甲斐なさを嘆く言葉が、そのうちに吹っ切れたような決意へと変わる。
「よしっ、今度はもっといい男ゲットする!」
「そうそう、その意気その意気。さ、歌いに行こう!」
 カラオケボックスに移ってテンションは最高潮。ふたりとも喉が嗄れるまで歌いつづける。
 ヘトヘトのグデングデンになって店を出る頃には、始発の電車が走りはじめていた。
「あー、さっぱりした!」
 チサトは晴れやかな顔で夜明け空に叫ぶ。
「今度はもっといい男ゲットする!」
 突き上げた小さな拳が、明るくなった空に届きそうに見えた。
 不意に、泣きだしそうになる。必死で堪えて、彼女に言った。
「ありがとう……」
「え? お礼を言うのはわたしだけど?」
「そんなことない。ありがとう」
 もう一度言って、彼女を駅に送り出す。
 改札に消えたチサトを見送ると、自分のアパートに向かう。明け方の空気が少し寒くて、ジーンズのポケットに手を突っ込んだ。
 指先に感触。取り出してみると、それは銀の指輪。
 少し考えてから、それを途中の植え込みに投げ捨てた。
 そして空を見上げ、呟いてみた。
「今度はもっといい男、ゲットする……」

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2011.03.26

ショートショートの炊き出し『友達のこと』その2

『ラブソング――ミチオのこと』

 カーラジオから流れてきたのは、古くさいラブソングだった。
“僕らは永遠を見つけた。僕らはもう離れることはない”
 そう歌っていた。
 歌っているのは若い女性だった。初めて聴く曲……いや。
「どうしたの?」
 助手席で妻が訊いた。気がつくと目の前の信号が青に変わっていた。あわててアクセルを踏む。
「……いや、この曲が……」
「曲がどうしたの?」
「聞き覚えがあるんだ」
 曲が終わりDJが言った。新人歌手のデビュー曲だと。
「わたしは初めて聴いたけど」
「……そうだな。たぶん、そうだ」
 違和感を覚えたまま、私は車を運転した。今聴いた旋律が、いつまでも心の隅で流れつづけていた。
 家に戻って夕飯を取った後、テレビを見ているときに突然、
「あ」
 と声をあげた。
「何よ急に?」
「思い出したんだ。あの曲」
 高校三年の学園祭のときだ。生徒たちによるライブという企画があった。当時はフォークソングが全盛だった。
 そこに私の同級生も出場した。たしか名前は……ミチオだ。
 ミチオは小柄で眼鏡をかけた、目立たない生徒だった。彼は大きなギターを抱えて舞台に登場すると、恥ずかしそうな表情で爪弾きはじめた。
 最初はざわついていた会場が、彼の演奏が始まると静かになった。最初に弾いた曲は「禁じられた遊び」……当時ギターを弾きはじめた者なら必ずチャレンジする定番だった。それを彼は見事に奏でた。
 次の曲は「風に吹かれて」だったと思う。ディランより澄んだ、とてもナイーブな歌声だった。
 最後に彼は「これは、僕が自分で作った曲です」と言ってオリジナル曲を弾いた。それが、あの歌だった。
 正直もてなさそうな彼が純粋なラブソングを歌ったのが、意外だった。だがすぐにその旋律と歌詞に引き込まれた。
 舞台を下りたミチオに、私は駆け寄った。
「いい曲だったよ。プロのレベルだ」
 彼は含羞んだ笑顔で、
「ありがとう」
 と言った。
 彼とはあまり親しくはなかった。まとも話したのも、それが最初で最後だったかもしれない。
 その彼の曲が、今になつて……。
「偶然似てる曲なのかもよ」
 妻は冷静だった。
 言われてみれば、そうかもしれない。だが……私は、納得できなかった。
 次にその曲を聴いたのは、三日後のことだった。やはりカーラジオから流れてきた。
 じっくり聴いてみた。間違いない。ミチオの曲だ。
 歌っている歌手の名前も覚えた。三日後に近くのライブハウスに来るという情報も聞いた。
 その日、彼女に会いに行った。
 小柄で華奢な女性だった。しかしその歌声は力強かった。
 ライブ後に楽屋に押しかけ、ミチオのことを話した。
「それは、わたしの父です」
 彼女は言った。
「あの曲は間違いなく、父の作ったものです。古いカセットテープに録音されているのを聴いて、これは世に出すべきだと思って歌わせてもらうことにしたんです」
「お父さんは、今どこに?」
「故郷に住んでます。今は喫茶店をやってます」
「もう、歌ってはいないのですか」
「父が歌うところを見たことはありません。だからあの曲がとても意外だったんです。あんないい声してるなら歌えばいいのにと言ったんだけど、どうしてもいやだって」
 彼女は微笑んだ。
「引っ込み思案なんです」
 変わってないみたいだな、と思った。
 その日は名刺を渡し、楽屋を辞した。
 数日後、ミチオからメールが届いた。彼女から名刺を渡され、そこにメールアドレスが記してあったので送ることにした、と書いてあった。
“学園祭のとき、君から「プロのレベルだ」と誉めてもらえたことは、よく覚えています。とても嬉しかった。あの頃は本気でプロの歌い手になることを夢見ておりました。日々の暮らしに流されるうちにその夢も消え、今はしがない喫茶店のマスターです。でも娘が僕の志を継いでプロ歌手になってくれたことは、何よりありがたいと思っています。そして、あの曲を歌ってくれていることも。”
 そのメールの末尾にはURLが記されていた。
“君のことを思い出したら、久しぶりに虫が騒ぎはじめました。お恥ずかしいですがご高覧いただければ幸いです。”
 URLをクリックしてみると動画サイトに繋がった。喫茶店の一隅らしい場所が映し出されている。
 そこにギターを抱えた男性が姿を現した。髪の毛が薄くなり、若干肉が付いている。しかし間違いなかった。ミチオだ。
 彼はカメラに向かって例の含羞んだ笑顔を見せると、ギターを爪弾きはじめた。
 あの曲だ。
 彼は歌った。
“僕らは永遠を見つけた。僕らはもう離れることはない”
 中年になったミチオが歌うラブソング。
 むずがゆいような懐かしいような、そんな思いに浸りながら、私は彼の歌を聴いていた。

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外食産業はやはり大変らしい

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 久しぶりにステーキ家に行ってきました。
 やはり震災後一週間は客足がぱったり途絶えてしまったとか。
 今も完全に回復はしていないようです。
「こんなときだから」と自粛しがちなのも理解できるのですが、こんなときだからこそ、元気なところが経済を回していかないと国全体の体力が落ちてしまいます。
 それに何より、美味しい食事は心を豊かにします。
 可能な範囲でいいから、外に食べに行きたいですね。

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2011.03.25

ショートショートの炊き出し『友達のこと』その1

『歯――ユウタのこと』

「ほら、抜けたんだ」
 ユウタが見せてくれたのは、白い石のかけらみたいなものだった。
「何これ?」
 って訊いたら、
「歯だよ。おまえ、抜けたことないのかよ?」
 と笑った。下の前歯のところが一ヶ所、真っ黒く欠けてるのが見えた。
「知ってる? 上の歯が抜けたら縁の下に放り込んで、下の歯が抜けたら屋根に投げるんだよ。そしたら早く丈夫な歯が生えてくるんだって」
「じゃあ、その歯は屋根に投げるの?」
「うん、でもうちのじゃないよ。うちの屋根、低いからさ。もっと高いとこ」
「高いとこって?」
「あそこ!」
 ユウタが指差したのは、この町で一番大きなビルだった。
「あんな高いところに投げられるの?」
 って訊いたら、ユウタはまた笑った。
「馬鹿だなあ。投げられるわけないじゃん。一番上まで行って、置いてくるんだよ。一緒に行こ」
 ユウタに腕を引っ張られ、走り出した。
 大きなビルは五十階もあって、ホテルとかデパートとかレストランとかが入っていた。一番上の五十階には展望台があって、町全体を見渡すことができる。
 でもユウタは外の景色なんか気にもしないで、あたりをきょろきょろ見回していた。
「何を探してるの?」
「この上に行く階段だよ。屋根に乗せなきゃ」
 でも階段なんかどこにもない。勇気を奮って警備員のひとに訊いてみた。
「この上には一般のひとは行けないんだよ」
 警備員のひとは言った。
「緊急用のヘリポートがあるけど、危険なんだ」
「…………」
 ユウタはとても悲しそうな顔をした。
「どうする? 自分の家の屋根にする?」
「……いやだ。ここでなきゃ、いやだ」
 ユウタは首を振った。
「もう虫歯になんかなりたくないもん。虫歯に負けない丈夫な歯がいいもん」
 結局、この展望台に歯を置いていくことにした。ここでもユウタの家の屋根よりは高いから。
 掃除で片付けられないように、柱の陰に置いてみた。
「これでいい?」
「……うん」
 ユウタは頷く。悲しそうな顔をしていた。本当はここじゃいやなんだろうな、と思った。
 次にふたりで展望台に昇ったのは、半年くらいしてからだった。
 ふたりであの柱の陰に行ってみた。歯は、どこにもなかった。
「やっぱり、捨てられちゃったかな」
 ユウタがつまらなそうに言う。そのとき、
「君たち、また来たね」
 声をかけられた。この前の警備員のひとだった。
「もしかして、抜けた乳歯を探してるのかな?
「え? どうして知ってるの?」
「あのとき、君たちが話しているのを聞いてたんだよ。強い歯が生えるようにここに置いたんだろ?」
「うん……でも、歯、なくなっちゃった」
 ユウタが言うと、警備員のひとはにっこりと笑った。
「なくなっちゃいないよ。君の歯はあそこにある」
 天井を指差した。
「僕が拾ってね、このビルの屋根に上げておいたよ」
「ほんと?」
「ああ、あの日、ちょうど上に行く用事があったんでね。今でもヘリポートの隅の小さな溝に置いてあるはずさ」
「ほんとにほんと?」
「本当だとも。たぶん君の歯は世界で一番高く上げられた歯だよ。だから世界で一番強い歯が生えてきたんだと思う」
「そうかあ、世界で一番強い歯かあ」
 ユウタは笑った。新しい歯が、つやつやと光った。

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ショートショートの「炊き出し」始めます

 大震災発声以来、多くのひとたちと同じように僕も考え続けてきました。
 今、自分に何ができるのか。
 募金のように誰にでもできることはあるとしても、今このときに自分ができることは何なのか。
 考えた末に出た結論は「はやり、書くことしかない」でした。

 僕は小説を書く人間として、できることをしようと思いました。
 僕の書いたもので誰かが救われるかどうかわかりません。勇気を与えたり、力をあげたりすることなんか、たぶんできないでしょう。
 それでも、僕の書いたものを読んで一瞬でも楽しんでもらえたなら、ひとときでも辛いことを忘れることができるなら、やる価値はあると思いました。

 この震災で被害に遭っているひとたち、震災の影響と戦っているひとたち、震災のニュースを観るたび聴くたびに心を痛めているひとたち、そんなひとたちに向けて、オリジナルの短い小説――ショートショートを書きました。
 言ってみれば「炊き出し」みたいなものです。
 今日から毎日一篇ずつ、このブログで発表します。
 タイトルは『友達のこと』
 
 お口に合うかどうかわかりませんが、よかったら読んでみてください。

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2011.03.09

『ルナティック ガーデン』見本届く

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 新刊『ルナティック ガーデン』の見本が届きました。
 太田忠司としては初の長編ハードカバー、初のSFです。

 3月16日過ぎには書店に並ぶと思います。

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2011.03.08

『落下する花 月読』Amazonで取り扱い開始

 文庫版『落下する花 月読』の取り扱いがAmazonで始まりました。
 よろしくお願いします。

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2011.03.03

『ルナティック ガーデン』Amazonで取り扱い開始

 今月発売される新作『ルナティック ガーデン』がAmazonで取り扱い開始となりました。
 太田忠司名義では初めて「SF」と銘打たれた、しかも僕としては初めての長編ハードカバーです。ちょっとお高いですが、楽しく読んでいただける作品だと自負しております。

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