ショートショートの炊き出し『友達のこと』その2
『ラブソング――ミチオのこと』
カーラジオから流れてきたのは、古くさいラブソングだった。
“僕らは永遠を見つけた。僕らはもう離れることはない”
そう歌っていた。
歌っているのは若い女性だった。初めて聴く曲……いや。
「どうしたの?」
助手席で妻が訊いた。気がつくと目の前の信号が青に変わっていた。あわててアクセルを踏む。
「……いや、この曲が……」
「曲がどうしたの?」
「聞き覚えがあるんだ」
曲が終わりDJが言った。新人歌手のデビュー曲だと。
「わたしは初めて聴いたけど」
「……そうだな。たぶん、そうだ」
違和感を覚えたまま、私は車を運転した。今聴いた旋律が、いつまでも心の隅で流れつづけていた。
家に戻って夕飯を取った後、テレビを見ているときに突然、
「あ」
と声をあげた。
「何よ急に?」
「思い出したんだ。あの曲」
高校三年の学園祭のときだ。生徒たちによるライブという企画があった。当時はフォークソングが全盛だった。
そこに私の同級生も出場した。たしか名前は……ミチオだ。
ミチオは小柄で眼鏡をかけた、目立たない生徒だった。彼は大きなギターを抱えて舞台に登場すると、恥ずかしそうな表情で爪弾きはじめた。
最初はざわついていた会場が、彼の演奏が始まると静かになった。最初に弾いた曲は「禁じられた遊び」……当時ギターを弾きはじめた者なら必ずチャレンジする定番だった。それを彼は見事に奏でた。
次の曲は「風に吹かれて」だったと思う。ディランより澄んだ、とてもナイーブな歌声だった。
最後に彼は「これは、僕が自分で作った曲です」と言ってオリジナル曲を弾いた。それが、あの歌だった。
正直もてなさそうな彼が純粋なラブソングを歌ったのが、意外だった。だがすぐにその旋律と歌詞に引き込まれた。
舞台を下りたミチオに、私は駆け寄った。
「いい曲だったよ。プロのレベルだ」
彼は含羞んだ笑顔で、
「ありがとう」
と言った。
彼とはあまり親しくはなかった。まとも話したのも、それが最初で最後だったかもしれない。
その彼の曲が、今になつて……。
「偶然似てる曲なのかもよ」
妻は冷静だった。
言われてみれば、そうかもしれない。だが……私は、納得できなかった。
次にその曲を聴いたのは、三日後のことだった。やはりカーラジオから流れてきた。
じっくり聴いてみた。間違いない。ミチオの曲だ。
歌っている歌手の名前も覚えた。三日後に近くのライブハウスに来るという情報も聞いた。
その日、彼女に会いに行った。
小柄で華奢な女性だった。しかしその歌声は力強かった。
ライブ後に楽屋に押しかけ、ミチオのことを話した。
「それは、わたしの父です」
彼女は言った。
「あの曲は間違いなく、父の作ったものです。古いカセットテープに録音されているのを聴いて、これは世に出すべきだと思って歌わせてもらうことにしたんです」
「お父さんは、今どこに?」
「故郷に住んでます。今は喫茶店をやってます」
「もう、歌ってはいないのですか」
「父が歌うところを見たことはありません。だからあの曲がとても意外だったんです。あんないい声してるなら歌えばいいのにと言ったんだけど、どうしてもいやだって」
彼女は微笑んだ。
「引っ込み思案なんです」
変わってないみたいだな、と思った。
その日は名刺を渡し、楽屋を辞した。
数日後、ミチオからメールが届いた。彼女から名刺を渡され、そこにメールアドレスが記してあったので送ることにした、と書いてあった。
“学園祭のとき、君から「プロのレベルだ」と誉めてもらえたことは、よく覚えています。とても嬉しかった。あの頃は本気でプロの歌い手になることを夢見ておりました。日々の暮らしに流されるうちにその夢も消え、今はしがない喫茶店のマスターです。でも娘が僕の志を継いでプロ歌手になってくれたことは、何よりありがたいと思っています。そして、あの曲を歌ってくれていることも。”
そのメールの末尾にはURLが記されていた。
“君のことを思い出したら、久しぶりに虫が騒ぎはじめました。お恥ずかしいですがご高覧いただければ幸いです。”
URLをクリックしてみると動画サイトに繋がった。喫茶店の一隅らしい場所が映し出されている。
そこにギターを抱えた男性が姿を現した。髪の毛が薄くなり、若干肉が付いている。しかし間違いなかった。ミチオだ。
彼はカメラに向かって例の含羞んだ笑顔を見せると、ギターを爪弾きはじめた。
あの曲だ。
彼は歌った。
“僕らは永遠を見つけた。僕らはもう離れることはない”
中年になったミチオが歌うラブソング。
むずがゆいような懐かしいような、そんな思いに浸りながら、私は彼の歌を聴いていた。
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