ショートショートの炊き出し『友達のこと』その3
『ふられ話――チサトのこと』
チサトから電話がかかってきた。
「もしもし? どした?」
――…………。
返事がない。この沈黙だけで、かけてきた理由がわかった。
「またフラれた?」
――…………。
やっぱり沈黙。これは肯定の意味。
やれやれ、相手に聞こえないように溜息ひとつ。
「じゃあ、八時にいつもの店ね」
――……うん。
それだけ言って、電話は切れた。
時間どおりに店に行く。チサトはいつ来るかわからないから、ひとりで勝手にビールを飲みはじめた。
一杯目のジョッキが空になった頃、チサトが現れた。眼を真っ赤にしている。
向かいの席に座ってわたしの顔を見るなり、また泣きだした。
彼女にウーロンハイを、自分にはビールのお代わりと手羽先唐揚げを頼む。
「で、今度の相手は誰?」
「……バイト先の先輩」
ふたつ年上で背が高く、かっこいいひとだったそうな。たぶん眉が細くて眼がちょっと危ない感じだったのではないかな。チサトが惚れるのは、いつもそういうタイプだから。
それから延々と彼女の話を聞く。向こうから声をかけてきて、彼女もその気になって、すぐに付き合いはじめた。彼は優しくて男らしくて、とっても素敵なひと。わたし、一生懸命尽くしたの。あ、でも前みたいにウザがられるのいやだから、無理しない程度によ。最初はね、彼もわたしのこと、気の利くいい子だって言ってくれてたの。でもね、そのうちだんだん……わたし、そんなに重いかな?
「重いって言われた?」
「……うん。『おまえといると気が滅入る』って。そんなこと言われたら……」
また泣く。
泣き止むのを待って、チサトに言った。
「つまりね、あんたとその男とでは価値観が違ったのよ。それだけのこと」
毎度毎度、彼女がふられるたびに同じことを言っている。価値観の相違。まあ、男と女の仲なんて、いつだってそういうことだし。
「……そうかなあ」
「そうだよ。さ、飲も」
それからはふたりで飲みながらお喋り。といっても話すのは一方的にチサト。わたしはただ聞くだけ。男への誉め言葉が次第に悪口へと変わり、そんな男に惚れた自分の不甲斐なさを嘆く言葉が、そのうちに吹っ切れたような決意へと変わる。
「よしっ、今度はもっといい男ゲットする!」
「そうそう、その意気その意気。さ、歌いに行こう!」
カラオケボックスに移ってテンションは最高潮。ふたりとも喉が嗄れるまで歌いつづける。
ヘトヘトのグデングデンになって店を出る頃には、始発の電車が走りはじめていた。
「あー、さっぱりした!」
チサトは晴れやかな顔で夜明け空に叫ぶ。
「今度はもっといい男ゲットする!」
突き上げた小さな拳が、明るくなった空に届きそうに見えた。
不意に、泣きだしそうになる。必死で堪えて、彼女に言った。
「ありがとう……」
「え? お礼を言うのはわたしだけど?」
「そんなことない。ありがとう」
もう一度言って、彼女を駅に送り出す。
改札に消えたチサトを見送ると、自分のアパートに向かう。明け方の空気が少し寒くて、ジーンズのポケットに手を突っ込んだ。
指先に感触。取り出してみると、それは銀の指輪。
少し考えてから、それを途中の植え込みに投げ捨てた。
そして空を見上げ、呟いてみた。
「今度はもっといい男、ゲットする……」
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