創元推理文庫版『刑事失格』見本届く
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ショートショートの「炊き出し」はこれで一応終了といたします。
12話書きました。
その中のひとつでも面白いと思っていただける作品があれば幸いです。
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『うそつき――ナナミのこと』
みんなは「うそつきナナミちゃん」って言う。
いつもうそをつくから。
この前だって、
「きのうね、わたし、金魚と話したんだよ」
って言った。
「金魚がね、洗面器の中でね、もっときれいな水がほしいよおって。だからきれいなお水をあげたの」
「金魚が話すわけないじゃん」
タクミくんが笑った。
「おまえ、またうそついてるのかよ」
「うそじゃないもん。ほんとだもん」
ナナミちゃんはおこって言う。
「うそに決まってるだろ。な?」
タクミくんはわたしに聞いてきた。わたしはこまってしまっつて、
「うーん、どうかなあ……」
としか言えなかった。
そしたらナナミちゃんが、とっても悲しそうな顔をした。わたし、わるいことしちゃったかな。でも、金魚が話すなんて、信じられないもの。
今日もナナミちゃんといっしょに帰ったとき、急に止まって、土手のほうをじって見てた。
「どうしたの?」
って聞いたら、
「あの花、泣いてる」
そう言ってタンポポの花を指差した。
「お日さまが照らなくて暗くて寒いって、泣いてるの」
ナナミちゃんは土手をのぼって、タンポポのまわりを手でほり返そうとした。
「お日さまのいるところに動かしてあげなききゃ」
でも土がかたいし、タンポポの根っこは長いし、ぜんぜんできなかった。
「うー」
ナナミちゃんは悲しそうな顔をした。わたしは言った。
「だいじょうぶだよ。お日さまが動いて、そっちのほうも照らしてくれるから」
「ほんと? こっちも明るくなる?」
「なるんじゃ……ないかなあ」
あんまり自信がなかった。
「ほんとかどうか、見てみる」
ナナミちゃんはそう言って、タンポポのそばにしゃがみこんだ。わたしはナナミちゃんのことを放っておけなくて、いっしょに並んでしゃがんだ。
どれくらいそうしてたかな。足がじんじん痛くなって、もうやめようよと言いたかったけど、ナナミちゃんはじっとだまってタンポポを見てた。
「何してるんだね?」
知らないおじさんが聞いた。
「この花、お日さまが当たらないの」
ナナミちゃんが言うと、
「ああ、こっち側は朝のうちでないと日が差さないからね」
と言った。
「朝にはお日さまが当たるの?」
「そうだよ。だから草も花もいっぱい生えてるだろ」
「そうかあ、ちゃんとお日さま当たるんだ」
ナナミちゃんはうれしそうに立ちあがった。でもすぐにまたしゃがむ。
「どうしたの?」
「足……しびれたみたい」
わたしも足がしびれてた。
「でも、すごいね、お日さまも、タンポポさんも」
「そうだね」
わたしたちはしびれた足をさすりながら笑った。
家に帰ってお母さんにナナミちゃんのことを話したら、
「ナナミちゃんは嘘つきじゃないわ」
と言った。
「ただ、感受性が豊かなのね」
「カンジュセイってなに?」
「うーん……いろいろなことを感じ取る力のことよ。つまり……」
お母さんはこまったような顔をして考えてから、言った。
「……つまり、優しいってこと」
次の日、学校でまたナナミちゃんがうそつきって言われた。
「ほんとだもん。風には青いのと黄色いのと赤いのがあるんだもん」
「風に色があるわけ、ないじゃん」
タクミくんがばかにした。
「あるもん。寒い風は青くて、暖かい風は黄色くて、強い風は赤いんだもん」
「うそつき! うそつき!」
わたしはがまんできなくなって、タクミくんに言った。
「ナナミちゃんはうそつきじゃないよ。カンジュセイがユタカなだけだよ!」
タクミくんはびっくりしたような顔でわたしを見た。
「なんだよ、カンジュセイって?」
「やさしいってこと!」
わたしがあんまり大きな声で言ったものだから、タクミくんはそれ以上何も言わなかった。
あとでナナミちゃんが
「ありがとう」
って言った。わたしはちょっとこまってしまった。
だってわたしには風の色なんか見えなかったから。
でもナナミちゃんには見えてるんだ。カンジュセイがユタカだから。
ナナミちゃんが、ちょっとうらやましかった。
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『秘密――マリカのこと』
「あたし、あなたの秘密を知ってるのよ」
唐突にマリカが言った。
「秘密? どんな?」
と聞き返したら、
「言わない。言ったら秘密じゃなくなるもの」
なんて言い返してきた。
「わたしの秘密をわたしに話しても、それは秘密のままじゃないの?」
「違うわ。あたしが知ってるあなたの秘密。だからあなたも知らないし、あなたが知ったら秘密じゃなくなるの」
なんだかわからない理屈だ。
「それ、マリカにとって秘密なだけで、わたしには秘密でも何でもないってこと?」
マリカは少し考えてから、
「そうかもしれない」
と答えた。
「なあんだ。それじゃ意味ないじゃん」
「意味ないことなんてないよ。秘密なんだもん」
「だからさあ、秘密って何よ?」
「それは言えないなあ」
「面白くない。そういう態度、全然面白くない」
わたしは立ちあがる。
「気分よくないから帰る」
そう言って席を立った。もちろん、これはポーズ。
「あ、待ってよ! 行かないで!」
思ったとおり、マリカは追いすがってきた。
「マリカがわけわかんないこと言うから」
「ごめん! 怒らないで! このとおり!」
両手を合わせて拝まれてはしかたない。しぶしぶ席に戻る。しぶしぶってのもポーズね。
「で?」
「だってさあ……」
そう言ったきり、マリカは下を向く。それでやっと気がついた。
「わたしの秘密なんて、何も知らないんだ」
「だってさあ……」
「だって、何?」
「……あたしの秘密、あなたにいっぱい知られてるのに、あなたの秘密、ひとつも知らないもの」
たしかにマリカの秘密はいくつか知っている。中学に入るまでおねしょをしてたとか、高校のときに付き合っていた彼が今はゲイバーに勤めてるとか。それはみんなマリカ自身が教えてくれたものだけど。
それじゃ不公平ってわけか。
「わたしの秘密、知りたい?」
「知りたい知りたい」
マリカが身を乗り出す。
「誰にも言わない?」
「絶対! ぜーったい言わない!」
「じゃ教えてあげようかな」
少しもったいぶってから、言った。
「じつはわたし、ヴァンパイアなの」
一瞬、きょとんとした顔になる。
「ヴァンパイア?」
「知らない?」
「ううん、この前映画で観た。血を吸うの」
「そう、それ」
「ブーンって飛ぶ」
「それは蚊。飛べるけど、ブーンって言わない」
「飛べるの? ほんと?」
「ほんと。夜だけだけど」
「でもさでもさ、ヴァンパイアって昼間動けるの? 棺桶の中で寝てないの?」
「最近のトレンドとしては日中の活動もOK。普通にこうしてパフェも食べるし」
「でも、血を吸うんだ」
「そう、血を吸うの」
笑ってみせた。マリカはちょっとだけ引いて、それから急に笑いだす。
「すごーい! なんかすごーい!」
「こらこら、大声を出さないで。みんなにバレるから」
「あ、ごめん」
「誰にも言っちゃ駄目よ」
「うん、言わない」
マリカは大きく頷く。
「じゃあ、あたし、行くね」
慌てて店を飛び出していった。
わたしは確信していた。明日までにわたしの「秘密」は周囲に知れ渡るだろう。わたしが自分のことをヴァンパイアだと言ったと。
彼の耳にも届くだろう。
ホラー好きな彼のことだから、きっとわたしに会いに来る。しばらくはヴァンパイアのふりをしてもいいかな。そして会話のきっかけを掴めれば……。
まわりくどいなあ、と自分でも思うけど、これくらいしか思いつかなかったんだもの。
走っていくマリカの背中に願いをかける。早くわたしの「秘密」をばらして。
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『レスラー――トモヒロのこと』
場内が暗くなる。観客たちが期待に満ちた歓声をあげた。
次の瞬間、稲妻のような青い閃光が私の眼を射た。
おどろおどろしい音楽とともに入場口から巨大な男が姿を現す。歓声が一際大きくなった。
男はゆっくりと客席の間を歩み、ロープをまたいでリングに上がった。フードのついた黒いコートを着ている。
そのコートを脱いだ瞬間、さらに大きな雷鳴と歓呼の声が私の鼓膜を震わせた。
岩のような筋肉で全身を覆われた男が両腕を広げ、天に向かって威嚇の叫びをあげる。
リングネーム、ザ・タイラント。地獄の底から甦った暴君という設定のプロレスラーだ。
今日の対戦相手は空中戦を得意とする若手の雄、スターウォーカーだった。向かい合うと子供と大人くらいの差がある。しかしスターウォーカーは怯む様子もない。
ゴングが鳴る。スターウォーカーは敵の足元を崩すために細かくローキックを入れながら責めたててくる。が、タイラントは動ずる様子もなく相手に迫り、その頭を鷲掴みにすると片手だけでリングの外に放り投げた。まるで人形を扱うかのようだった。
空中で体勢を立て直して着地したスターウォーカーは、すぐさまコーナーポストに駆け上るとミサイルキックを繰り出す。それをまともに受けたタイラントは、ふらつきながらも持ちこたえる。スターウォーカーは続けざまにキックを打ち込み、ついにタイラントをひざまずかせる。勢いに乗ったスターウォーカーは顔面キックを狙うが、それより早くタイラントが彼の喉笛を掴み、高く掲げた。彼の得意技チョークスラムだ。これが決まれば試合は終わる。
が、スターウォーカーも巧みに体を捻って回避し再び攻撃に移る。
こうして一進一退の息詰まる攻防が続いた。タイラントはスターウォーカーを再度リング外に投げ落とすと自身もリングを降り、更に攻撃を加える。スターウォーカーが客席に倒れ込み、パイプ椅子がなぎ倒された。こうして場外乱闘は観客をも巻き込むことになった。
ふたりのレスラーは戦いながら観客を蹴散らしていく。観客のほうも慣れたもので、ひょいひょいと逃げながら戦うふたりを遠巻きにしていた。
そして彼らは、私が座っている席に近付いてきた。
タイラントに張り倒されたスターウォーカーが私にぶつかりそうになる。それを避けると、今度はタイラントが飛び込んできた。これもぎりぎりでかわした。組み合ったふたりは私の真横で殴り合いを始める。そしてタイラントの振り上げた腕が私のこめかみにヒットした。
壮絶な衝撃に脳が揺れる。思わず倒れ込んだ。
よろよろと起き上がると、再びタイラントの太い腕が目の前に迫っていた。本能的にそれを避け、勢い余ってつんのめったタイラントの背中に、思いきり蹴りを入れた。客席からのどよめきが聞こえる。
タイラントは向き直り、私に向かって火でも吹きそうな眼付きで睨みつけてきた。私は後ずさり、走り出した。
怒号に振り返るとタイラントが追ってくる。客席の間を縫うように走り逃げる。目の前にリングがあった。思いきりジャンプして飛び乗った。
私は、リングの中央に立った。
タイラントもリングに上がる。私を見据え、大きく腕を振って威嚇してくる。
私は背広を脱ぎ、ネクタイを緩めた。
タイラントは腕を水平に上げて突進してくる。彼の必殺技のひとつ、アルティメット・クローズラインだ。ぎりぎりのところで逃げる。
ロープに沿って逃げ回った。足は私のほうが早かった。何度も攻撃をかわされたことでタイラントの怒りはさらに増していた。顔を紅潮させ鬼のような形相だった。
場外に逃げようとロープを潜った、その動きに一瞬早く反応したタイラントが、ついに私の体を捕らえた。巨大な手が私の肩を掴みリング中央に引きずり戻す。私はがむしゃらに手を振って逃げようとしたが、敵わなかった。
彼の手が私の喉を捕らえた。気管が塞がれ、たちまちのうちに顔が充血するのを感じた。そのまま天井高く持ち上げられた。
そのまま叩き落とされそうになる寸前、タイラントの体が激しく揺れ、喉を掴む力が緩んだ。私はマットに倒れ込み、激しく咳き込んだ。
顔を上げるとスターウォーカーがタイラントの頭にしがみついていた。スリーパーホールドだ。タイラントは敵をなんとか振りほどこうとしていたが、スターウォーカーの腕は彼の顎をしっかりと捕らえて放さない。小兵でも敵を沈めることのできる効果的な技だ。
やがてタイラントががっくりと膝をついた。意識が朦朧としているようだ。スターウォーカーは腕を離し、私を指差した。続いてその指先をコーナーポストへ。
私は自分を指差し、彼の意図を確認した。スターウォーカーは大きく頷く。
おっかなびっくりの格好でポストに昇った。天辺に立つと体がふらふらする。すでにスターウォーカーは天辺に立っていた。そして私を見つめ頷いた。
思いきり飛んだ。
私とスターウォーカーのダブルミサイルキックが、同時にタイラントの顔面を捕らえた――。
その二時間後、私は体の痛みを堪えながら居酒屋でビールを飲んでいた。
気配に気付いて振り向くと、後ろに巨躯が立っていた。
タイラントだ。
彼は私を無言で見つめていた。私も何も言わなかった。
そして彼は、向かいの席を腰掛けた。
私はテーブルの枝豆の皿を彼に差し出した。
「ビールでいいか」
彼は頷く。店の子に大ジョッキをふたつ頼んだ。
届いたジョッキを持ち、彼に言った。
「お疲れさん」
彼もジョッキを持ち、私のジョッキに軽く合わせた。そして言った。
「今日は、ありがとう」
「これくらいなら、俺みたいに引退した人間にもできるさ。今日は盛り上がったな」
「君のおかげだ」
「いや、おまえの力だよ。一緒に入門したときはひょろひょろののっぽでしかなかったおまえが、今やザ・タイラントだ。立派になったもんだ」
「君こそ肩を痛めなければ、今頃――」
「それは言うな」
私は彼の言葉を遮った。
「今日はその話は無しだ。飲もうかタイラント、いや、トモヒロ」
私とトモヒロはその日、夜明け近くまで飲んだ。
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『先生――ヒサオのこと』
ヒサオに会いたければ音楽室に行けばよかった。
他に誰もいない部屋にひとりだけ残って、いつも楽器を磨いたり、ただぼんやりとしている。
「先生」
と声をかけると、びっくりしたような顔で振り向いて、それから笑顔になる。
「なんだ、どうした?」
音楽の教師とは思えないだみ声だった。ベートーベンを真似てるようなぼさぼさの髪で、着ているのはいつも青い服。青いセーター、青いジャケット、青いTシャツばかり。体は小さくて、顎と鼻の下にもじゃもじゃと髭を生やしている。見た目は奇妙なおっさん。
それがヒサオだった。
陰では誰も苗字では呼ばない。ヒサオ、と呼び捨てだった。
「これ、返す」
俺は借りていたCDを手渡す。
「お、どうだった?」
「よかった。ボーカル、結構好きだな」
「そうだろ。いいだろ」
ヒサオは相好を崩す。
そのとき借りていたのはレッド・ツェッペリンという昔のバンドのCDだった。授業ではモーツァルトとかブラームスの話ばかりで授業中に流す音楽もクラシックばかりだけど、本当はヒサオはばりばりのロックファンだった。そのことを知っているのは、学校ではたぶん俺だけ。
俺たちはよくロックの話をした。ヒサオは若い頃に聴いていた昔のバンドの話、そして俺は最近のバンドの話。ときどき噛み合わなくておかしくなるけど、それでも話しているのは楽しかった。
話に興が乗ってくると、ヒサオの声は高くなる。
「そうそう、あの頃ってプログレが全盛でさあ」
「プログレ?」
「プログレッシブ・ロックだよ。イエスとか貸しただろ」
「ああ、ああいうのね。ちょっとわかりにくい」
「だろうな。プログレを聴くには教養が要る」
ヒサオは得意気に眉を動かした。
「でも、おまえみたいな初心者でもわかる曲もあるぞ。たとえば……」
傍らに置いてあったギターを引き寄せると、ヒサオは弾きはじめた。
静かな出だしの曲だった。しばらくギターの演奏が続いたあと、ヒサオが英語で歌いだす。意外なくらい渋くていい声だった。普段のだみ声が嘘のようだった。
しばらくの間、俺はヒサオの歌を聴いていた。もちろん歌詞なんてわからない。ただ途中の「I Wish You Were Here」というところだけは聞き取れた。
歌い終わるとヒサオは、どうだというような眼で俺を見る。俺は素直に感動したとは言えなくて、ちょっと斜に構えた感想を言った。
「ラブソングかよ」
「違う。この歌はそうじゃない。今は傍にいない友達のことを歌ったものだ」
それだけしか言わなかった。
そんなヒサオとの付き合いは、俺が卒業するまでの半年くらい続いた。
卒業式の日、ヒサオはピアノで「仰げば尊し」の伴奏をした。黒いスーツ姿のヒサオは、なんだかとても滑稽で、でも寂しそうだった。
卒業から二十年後、同窓会があった。
集まった連中は、すごく変わった奴もいたし、あまり変わってない奴もいた。
でも話を始めるとみんな、あの頃に戻ったかのようだった。
俺はみんなに訊いてみた。
「ヒサオって覚えてるか」
みんな奇妙な顔をした。
「ヒサオ? そんな奴クラスにいたっけ?」
「違う。生徒じゃない。先生だ」
「ヒサオ……覚えてないな」
音楽の教師をしていたと言っても、思い出さない奴のほうが多かった。
「音楽の先生なんて誰だったか覚えてない」
結局、ヒサオのことを俺と話せる奴は、誰もいなかった。
家に戻ってから俺は、その年にもらった年賀状の束を取り出した。一枚一枚確かめ、そして見つけた。
小さな犬を抱いた老人の写真が印刷された一枚。老人の髪も髭も真っ白だった。
でも、変わっていなかった。
裏返すと住所の傍らに書き込みがある。
“教師を退職して八年、今は老妻老犬と悠々自適の生活です。でもときどきロックしてます。”
「ロックしてます、か……」
俺は年賀状を戻し、CDラックを開いた。
目当ての一枚はすぐに見つかった。
プレーヤーにセットして選曲する。ラジオをチューニングするような音が聞こえた後に、あのギターのイントロが流れてきた。
Wish You Were Here
あなたがここに、いてほしい。
あの日の、音楽室の午後のことを思い出した。
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以前講談社で出した阿南シリーズが創元推理文庫から再出版されることになりました。
第一作『刑事失格』は今月発売です。
その後、『Jの少女たち』『天国の破片』と毎月刊行され、書き下ろし新作『無伴奏』も出版されます。
狩野俊介やレンテンローズで僕を知った方がこのシリーズを読むと、少し驚かれるかもしれません。雰囲気が全然ちがいますからね。
エラリー・クイーンと同じくらい傾倒したロス・マクドナルドの影響を受けた、僕にとってのハードボイルドです。
このシリーズはあまり書いていませんが、僕のライフワークのひとつです。是非読んでみてください。
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『桜――カトリナのこと』
母から送られてきた荷物の中身は、畑で採れたミカンと冬物のセーターだった。
添えられた手紙には、慣れない土地で苦労していないかと案じている、正月には必ず帰ってくるようにと綴られていた。心配性の母らしい文面だ。
こちらで就職すると決めたとき、ひどく反対されたことを思い出す。大学を卒業したら家に戻ってくるものと考えていたらしい。そのことでしばらくは侃々諤々のやり取りが続いた。今は落ち着いているように見えるが、本心ではまだ許してはいないと思う。
僕は苦笑しながらセーターを取り出した。
と、畳まれたセーターの間から紙の束が落ちた。
封書や葉書の束だった。どれも僕宛だ。実家に届いたものだろう。
ほとんどがつまらないダイレクトメールばかりだった。こんなものまで後生大事に送ってこなくてもいいのに、と思いながら一通ずつ捨てていく。
残ったのは白いエアメールが一通。送り主の名前を見た瞬間、あ、と思った。
カトリナ……。
一瞬にして記憶が甦る。中学の頃、文通をしていた相手だ。フィンランドの女の子だった。英語の先生の紹介で海外の同年代と文通をすることになり、同じく英語を勉強していた彼女と今どき珍しい手紙のやり取りをすることになったのだった。
英語で文章を書くのも難しかったが、女の子に手紙を書くのも大変だった。一通の手紙に数週間の時間を費やしたことを覚えている。返事が届くのはさらに数週間、あるいは数ヶ月の後だった。彼女も英語は不得意なのか、僕と同じくらい拙い文章だった。
僕たちは互いの国のことや日常のことについて、あれこれと伝えあった。フィンランドでは太陽の沈まない白夜という期間が一ヶ月近くあるということ、カンテレという民族楽器があって彼女はその勉強をしていることなどを教えられた。僕は家の近くに桜で有名な公園があること、その桜がとても好きだということ。ギターかベースかで迷って楽器には手を出していないことを書き記した。
やり取りは十回近く続いたと思う。高校に入学し同級生の女の子と付き合うようになってから、なんとなくカトリナとの文通が面倒になってきて間が開き、結局自然消滅した形だった。
そのカトリナから手紙がきた。今頃なんだろうかと訝りながら封を切った。
水色の便箋に昔と同じく丁寧なアルファベットが綴られていた。
ひさしぶりね。元気だったかしら?
わたしは今、ヘルシンキの大学に通ってるわ。心理学の勉強をしているの。それと同時にカンテレの勉強も続けているわ。今度わたしたちのグループが日本へ演奏旅行をすることになったの。そのときに貴方と会えたら嬉しいわ。
カレンダーを見た。彼女の来日は……一週間後だ。
演奏会が行われる会場は、偶然にも僕のアパートから地下鉄で二十分ほどの距離にある。
インターネットで検索し、その演奏会のチケットがまだ入手可能であることも確認できた。マウスを動かし、購入手続に進むボタンにポインタを合わせる。そこで、手が止まった。
どうする? 本当に行くつもりなのか?
カトリナとはもちろん一度も会ったことはない。写真の交換もしていない。そんな相手に会いに行くつもりなのか。今更会ってどうするんだ……。
そんな思いが脳裏を過る。
やめよう。手紙は見なかったことにして、このまま忘れてしまおう。僕もカトリナも、昔の思い出だけを心に仕舞っていればいい。
そのままウェブのページを閉じた。
でもそれから、仕事をしていても家に戻っても、心の隅の妙なわだかまりが気になってしかたなかった。焦りのような後悔のような、なんともいやな感じだ。その原因が何なのか、僕にはよくわかっていた。
そして当日、僕は結局仕事を終えると大急ぎで演奏会のある会場へと駆けつけてしまった。
小さな公民館だった。「フィンランド音楽の夕べ」と題されたポスターが貼られていた。そのポスターに書かれていた。
当日券あり。
窓口で一枚買って、中に入った。客席は八割方の入りだった。
舞台に七人の女性が立った。バイオリンとアコーディオン、そして小柄な琴みたいな楽器を手にしている。みんな僕と同年代くらいの女性だった。
拍手の後、演奏が始まった。初めて聴くフィンランドの音楽は素朴で、しかし複雑な旋律を持っていた。特徴的なのはやはり小さな琴のような楽器で、どこか切ない音色を奏でる。
これがカンテラだろうか。だとすればあの楽器を演奏している髪の長い女性がカトリナなのか。僕は眼を凝らして舞台を見つめた。
何曲か演奏した後、カンテラを演奏していた女性が立ち上がり、マイクに向かって何か語りかけた。もちろん何を言っているかわからない。その後で日本人通訳が言った。
「次の曲は日本の曲です。日本ではこの花がとても愛されていると聞きました。日本の友人からです。その友人のために演奏します」
そうして演奏されたのは「さくらさくら」だった。
ああ、と僕は思った。彼女は、カトリナは覚えていてくれたのだ。
演奏会が終わった後、楽屋に向かった。
だが楽屋のドアを前にして、立ちすくんだ。何と言って声をかければいいのかわからなかった。
躊躇の後、もう帰ってしまおうと踵を返しかけたとき、ドアが開いた。
出てきたのは、カンテラを演奏していた女性だった。彼女は驚いたような顔で僕を見て、そして、すぐに僕の名前を口にした。
頷くと、彼女は笑みを浮かべて僕を抱きしめた。
「アイタカッタ」
日本語で告げた後、英語で言った。
「あなたに会ったときのために、この日本語を覚えていたの。もうひとつ覚えた言葉があるのだけど、聞いてくれる?」
もう一度頷くと、彼女は言った。
「アナタノ、サクラガ、ミタイ」
桜の季節に、彼女はまたやってきた。
僕は彼女を故郷の小さな町に案内した。
公園の満開の桜を見て、彼女は眼を見張った。
「信じられない。こんな景色が、この世にあるなんて」
カトリナは桜が散るまで町に留まった。僕たちは毎日のように一緒に花の下を歩いた。
葉桜が目立つようになった頃、彼女は言った。
「来年の桜も見たいわ。その次の桜も、その次の次の桜も」
そして今、僕たちは一緒にあの桜を心待ちにしている。
彼女にとっては三度目の、そして生まれてくる僕たちの子供にとっては、初めての。
もうすぐ、桜が咲く。
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